24歳でがんになった彼女は言う。死ぬ時にできるのは何かを「残す」ことだけ
●本という贅沢44『もしすべてのことに意味があるなら がんがわたしに教えてくれたこと』(鈴木美穂/ダイヤモンド社)
「10年前、不安で泣いていた自分に、『10年後にはこんな未来が待っているから、大丈夫だよ』と見せてあげたい……」
両親への手紙を読み上げる新婦の、涙で震える声を聞きながら、私は彼女の言う「10年」という言葉の重さを感じていた。
今年一番じゃないかと思うほど澄み切った秋晴れの日。10年前、24歳で乳がんステージⅢを宣告された彼女は、この日、結婚式を挙げた。
私の視界も次第に涙でゆがんでくる。この時、思い出していたのは、彼女と出会った時のことだった__。
この本の著者である鈴木美穂さんと、初めて会ったのは、2015年。
当時私は、抗がん剤治療をしている人のための医療用ウィッグのヘアカタログを作っていて、巻頭企画でがん経験者の美穂さんのインタビューをさせてもらいたいとお願いしていた。
大きな目がくるくる動く、表情の豊かな人だなというのが第一印象だった。闘病の話を聞いていると、辛い話は辛そうに、楽しい話は楽しそうに話す。取材中に涙がこぼれることもあった。
書き上げた原稿をチェックしてもらった時のことを覚えている。
「すみません。この『がんサバイバー』という言葉を外してもらえませんか」。彼女にそう言われた。
「私、まだ6年しか経ってないので。まだサバイブしていないので」
あの時、彼女は、どんな思いで「サバイバー」という文字を赤ペンで消したのだろう。あの時、彼女が狂うほど欲しいと願った「10年」が、この日だったんだ、と思った。
結婚式の準備が終わらなくて、ほとんど徹夜明けだと言っていた彼女。読み上げた手紙は、前夜にパソコンで打ち出したコピー用紙だったらしい。
大きな瞳からはぽろぽろと涙がこぼれる。ひな壇の上で彼女は本当に、美しかった。
初めて会った時を含めて、彼女には3度の取材をさせてもらっている。
2度目は、彼女自身の闘病を描いたノンフィクション番組「Cancer gift(キャンサーギフト) がんって、不幸ですか?」の試写会で。
3度目は、つい最近。彼女がご主人とともに会社をやめて世界一周に出ると決めた時に。
彼女に会うたび、「遠慮のない人だな」と感じた。
図々しいというわけではない。むしろ彼女は時々その輪郭がふるふると震えるほど繊細な人だ。わがままだというわけでもない。多分、人に甘えることが上手な人ではないと思う。
だけど、「これがやりたいんです。協力してください」と言うときの豪速球は、いつもズドンと響いたし、裏も表もなくまっすぐだった。
どうして彼女はあそこまで、繊細で気つかいぃなのに、まっすぐと自分の想いを口に出せるのだろう。
ずっとそう思っていたけれど、今回この本を読んでよくわかった。
それは言葉にするならば、
彼女には、人生で大切にすべきことの優先順位が、はっきりと見えていたんだなあということ。
だから必死で手を伸ばすし、伸ばした手の先には誰かの手が差しのべられてきたんだなあと。
この本には、彼女が命をかけて知り得た、生きるための“真理”が描かれている。
最後にインタビューさせてもらったのは、昨年のクリスマス前だった。その時彼女が語った言葉を私は、一生忘れない。
死ぬ時には、何も持っていけないんです。
死ぬ時にできるのは、この世の中に何かを「残す」ことだけなんですよね。
これまでも、彼女が残してきたものはたくさんあるけれど、この本もやはり、彼女が残してくれる大きなプレゼントのひとつだ。telling,の読者の皆さんにも、美穂さんからのプレゼントを受け取ってほしい。
何かを「残す」
私は、美穂さんのように、何かを残す人生を送れているかな。
振り返った私に、彼女は言ってくれた。
「ゆみさんは、もう残していますよ。文章を書くことって、そういうことですよね」
と。
その時思った。これから何があっても、絶対に書き続けようと。
また10年たったら、彼女に取材を申し込みたい。
- 本文中にも出てくる、美穂さんのご主人が立ち上げた有志団体「ONE JAPAN」の書籍を、昨年、縁あって執筆させていただきました。ミレニアル世代の等身大の働き方をあつめた『仕事はもっと楽しくできる』(プレジデント社)も、ぜひ併せて読んでみてください。
それではまた来週水曜日に。