本という贅沢59『ぼくは勉強ができない』(山田詠美/新潮文庫)

大人の女になるためにはむしろ、大人にならない領域が必要なのだ

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。7月のテーマは「大人の女」。大人の女について考える本を、書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢59『ぼくは勉強ができない』(山田詠美/新潮文庫)

「類は友を呼ぶ」とよくいうけれど、仲良くなる友人には共通点がある。

まず、男性の場合は、お姉さんがいる人が多い。しかも、わりに気が強くて、弟を子分か舎弟かのように扱う理不尽なお姉さんがいる年下の男性と、仲良くなりがちだ。

一方、女性の場合は、『ぼくは勉強ができない』が好きという人の割合が、統計学的に考えるとおかしなことになるくらい、多い。

先々月の飲み会では、久しぶりに集まった5人の友人、全員がこの本が好きだと言っていた。みな口をそろえて、主人公の高校生、秀美くんの母親である仁子(じんこ)さんに憧れるという。

昨日の夜、友人との待ち合わせ場所でこの本を読み返していたら、友人の一人は「わ!私、この本にすごく影響受けた」と言い、もう一人は「山田詠美さんの本、全部読んだなあ」と言う。

かくいう私も、この本が大好きだ。
バイブルだといってもいいかもしれない。

ハタチのときに初版で読んで以来、私が普段えらそーにさも持論かのように語ってきた人生論は、ほぼこの本がソースだ。今回、4回目だか5回目だかの読み返しをして、いてもたってもいられないくらい恥ずかしくなりました。
もし、このコラムを読んで、この本を読んでくださる私の知人がいたら、「わ、普段あいつが言ってること、全部パクリかよ」ってなって、痛いかもしれない。

今回、「大人の女」というテーマをもらって、最初に思い浮かんだのもやっぱり、この本の主人公の母親、仁子さんだった。
仁子さんのセリフは、もう、自分が考え出した言葉だと錯覚するくらいに完璧に咀嚼されて、私の血肉になってる。いい女ぶってカッコつけて何度もしゃべっているから、完全に板についていると思う。
もし、このコラムを読んで、この本を読んでくださる元カレ界隈がいたら、「わ、アレもかよ」ってなって、痛いかもしれない。
いつか息子が大きくなったとき「おふくろの言ってたこと、この本、そのままやん」って気づいて、痛いかもしれない。

でも、まあ、痛いのだけれど、痛いくらい共感したり自分が持っていかれちゃうことが、小説を読む理由なんだろうと思う。
小説もやはりひとつの人生体験だ。

たとえば
「自分は自分であって、他の誰とも違う」
とか
「人のものさしで自分を測る必要はない。自分のものさしで人を測ることも同様」
とか
「けれども、自分は普通じゃないと思う自意識がすでに凡庸だ」
とか。
本当の優しさとは何かとか、自然な美しさとは何かとか、そもそも考えることとは何かとか。

私がこの本から学んだことは、そのあとの人生において、北極星よりはもう少し近いところにある、道しるべだったよ。
自分にとって「いい女」とは何か、「大人の女」とは何かという基本方針も、この本で決めたと思う。

この本のあとがきで山田詠美さんはこう書いている。

私はこの本で、決して進歩しない、そして、進歩しなくても良い領域を書きたかったのだと思う。大人になるとは、進歩することより、むしろ進歩させるべきではない領域を知ることだ。

あの時、秀美くんの年齢に近かった私は、今、憧れの大人の女性、秀美くんの母、仁子さんとほぼ同じ年齢になっている(多分)。
年齢さえ重ねれば、「大人の女」になれるわけでもないってことは、年齢を重ねた今だからわかる。

でも、私はこの本のおかげで、秀美くんの気持ちを忘れないまま、仁子さんの年齢まで生きてくることができた気がする。つまり、進歩させるべきではない領域を(一部かもしれないけれど)、守ったまま大人になれた気がする。
ちょっと失った部分もあるな。でも、ちゃんと、あの頃のまま残せている領域もある。

久しぶりに、ハタチの自分と再会できたようで、楽しかったよ。

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山田詠美さんの本の中で、この『ぼくは勉強ができない』と同じくらいの衝撃を受けたのが、直木賞を受賞した『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』。これも、新しい扉が開いた小説でした。こちらもぜひ。
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それではまた来週水曜日に。

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。