ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」31

【ふかわりょう】嫁自慢できるかな

人気情報番組「5時に夢中!」(TOKYO MX)のMCや、DJとしても活躍するふかわりょうさん。ふかわさん自身が日々感じたことを、綴ります。光の乱反射のように、読む人ごとに異なる“心のツボ”に刺さるはず。隔週金曜にお届けします。

●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」31

 今から不安でいます。結婚もしていないのに、すでに不安に駆られています。それは、嫁自慢できるだろうか、ということです。

 「嫁グラフィー」なるものが昨今のSNSを賑わせているようです。自分の奥さんを綺麗に撮ってSNSであげる。海辺でヴェールをかぶせたり、川辺でヴェールをかぶせたり。本心なのか、気を遣ってなのか、「綺麗な奥さんですね!」なんてコメントが寄せられて。自慢しているつもりはないかもしれませんが、自分にもできるだろうか。

 ハロウィンやクリスマスなどの行事は受けいれても、欧米の夫婦のように頻繁に「愛している」と言ったり、レディー・ファーストの慣習がなかなか定着しないこの島で、増殖しつつある新しい愛情表現。「愛している」と言うのは照れくさいけれど、これなら抵抗なくできるのでしょうか。それで奥様が喜んでいるならいいですし、自分の奥さんを褒められるのも気持ちいいかもしれません。でも、僕に、できるだろうか。

 そもそも、「自撮り」なるものが普及したあたりから不安だったのです。スマホのない時代。レンズを自分に向けるのは、ボケ以外の何物でもありませんでした。しかし、誰もがカメラを携帯し、自分に向けることが普通になると、自撮りしてSNSにあげる。さらに加工して盛ってみたり。それは、写真をカメラ屋さんに出して現像してもらい、遠足の後は廊下に貼り出された写真の番号を書いて注文していた人間からすると、もはや超常現象。時代の違いか、世代の違いか。単なる個人の価値観の違いか。

 百歩譲って、奥さんの写真を撮ることはできても、それをSNSにあげられるだろうか。大切なものはSNSであげたくないと思っているので、どんなに綺麗に撮れても、SNSにあげた段階で安売りしているような気がしてしまいます。それに、自分の奥さんが美しいというのは自分が思っていればいいだけで、それをわざわざ周囲にいう必要があるのだろうか。そもそも、素敵な人だと思って結婚したのだから。

「いやいや、うちなんてもう小遣いなくて大変だよ」
「いやいや、うちも一緒だよ」
 サラリーマン川柳のような、奥さんの尻に敷かれる夫というのはもう過去のものになるのでしょうか。
「うちの嫁が可愛くてさぁ」
「ほんとだ、じゃぁうちの嫁も見てよ!」
 このような会話が新橋でも聞けるようになるのでしょうか。サラリーマン川柳の潮流も、悲哀でなく、自慢になるのでしょうか。悲哀を五七五のリズムにのせるから面白いのに。自慢を五七五に乗せるのは、いささか不気味な気がしてしまいます。

 妻自慢なのか、愛妻家アピールなのか。子供の写真がパソコンの横に飾ってあるのはいいけれど、奥さんの写真が飾られていたら、悲しい出来事でもあったのかと勘違いしてしまいます。
「うちの嫁可愛いだろ?」
「愛妻家なんですね!素敵!」
六本木のクラブでもこんなやりとりでしょうか。奥さんを大切にすることは素晴らしいこと。時代は変わりました。嫁自慢、僕にもできるかな。

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タイトル写真:坂脇卓也  

1974年8月19日生まれ、神奈川県出身。テレビ・ラジオのほか、ROCKETMANとしてDJや楽曲制作など、好きなことをやり続けている。