ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」29

【ふかわりょう】Beautiful Harmony

人気情報番組「5時に夢中!」(TOKYO MX)のMCや、DJとしても活躍するふかわりょうさん。ふかわさん自身が日々感じたことを、綴ります。光の乱反射のように、読む人ごとに異なる“心のツボ”に刺さるはず。隔週金曜にお届けします。

●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」29

「今日じゃなくてもいいんじゃない?」
「案外、都心は空いているから」
 夏のような日差しが照りつけるビルが眩しい午後。二人を乗せた車は、都心の大きな公園に向かっていた。
「ね、だから言ったでしょ」
 薄暗い地下の駐車場は見渡す限りぎっしり。埃っぽい階段を上がれば、中央の噴水を囲むように露店やステージなどが並び、パンフレットを持った人たちで賑わっている。
「ここまでしてハヤシライス食べたい?」
「無性に食べたくなるんだよ」
 園内を歩き、じんわりと汗が滲んでくると、木漏れ日を浴びたハイカラな洋館が佇んでいる。創業明治36年の日比谷松本楼。マンサード屋根の下、カレーを食べてコーヒーを飲むことが当時流行したそう。案内された奥のシートからはオープンテラスが見える。あそこにいるのは夏目漱石だろうか。

「本当に美味しいの?」
令子が小さな声で尋ねると、和也は目を見ていった。
「あのさ、考えても見なよ。東京のど真ん中で、100年以上も続いている洋食屋さんだよ?まずいわけないでしょう。」
「客足に困らないから、それほどでもなくても続くってことない?」
「駅前のラーメン屋さんと一緒にしないでほしいな」
 時代を超えて愛されてきた場所。変わらない味。隣でコーヒーを片手に詩を書いているのは、高村光太郎だろう。
「今日こそ、ハヤシライス行くぞ」
その言葉に、令子は耳を疑った。
「今日こそ?食べたことないの?」
「そうだよ、だから言ったでしょ。」
 和也は、今日と同じように無性に食べたくなって訪れたことがあったが、カレーライスの誘惑に負け、結局ハヤシライスを口にしなかった。
「誘惑に弱いの、異性だけじゃないのね」
和也は聞こえないふりをした。
「ご注文はお決まりでしょうか」
令子は和也を見た。
「うそでしょ?ハヤシライスじゃないの?」
「いや、そうなんだけど……」
 和也の目線が、カレーライスとハヤシライスを往復している。令子はメニューを閉じてプレッシャーを与えている。
「本当、優柔不断って治らないのかしら」
「思慮深いってこと」
「そんなに考えたってしょうがないじゃない」

 学生時代に知り合った二人は、会社員になってから付き合いだし、かれこれ10年ほどになる。
「ねぇ、昭和生まれで平成に結婚しない人って、なんて呼ばれているか知ってる?」
「知ってるよ。本当くだらない」
「着地で捻挫しないようにね」
 オープンテラスには犬を連れた老夫婦が座っている。
「さっきから聞こえるこの曲、何なの?」
 園内のイベントなのか、誰かが遠くで叫んでいる。
「これ何て曲だっけ、ほら…」
 エリック・クラプトンの「レイラ」。だが、少し様子がおかしい。何度も同じフレーズをリフレインしているが、どうやら「レイラ」を「レイワ」に置き換えているようだ。安い替え歌にされたグラミー歌手に同情さえ抱いていると、注文したものがテーブルに届いた。
「……子どもみたい」
和也の前には、焦げ茶色と赤茶色の2色のルーが並んでいる。
「迷う人のために、こういうメニューがあるんでしょ」
「そういう人って信用できない。せめて、どっちかに決めてよ」
 大型連休を謳歌する人で賑わう都心の公園。噴水の向こうにそびえる大きなビルは、昨年できたミッドタウン日比谷だろうか。ルーの入った銀のポットに、澄んだ空が反射していて。

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タイトル写真:坂脇卓也  

1974年8月19日生まれ、神奈川県出身。テレビ・ラジオのほか、ROCKETMANとしてDJや楽曲制作など、好きなことをやり続けている。