“日本一速い高校生”と呼ばれてから10年。プロライダー岡崎静夏さんがいま、思う「日本一をとったことのある女性になりたい」

オートバイのロードレースは、男女が同じ舞台で戦うスポーツです。岡崎静夏さん(28)は高校3年生で全日本選手権に初めて出たとき、「日本一速い女子高生」と話題になりました。あれから10年。いまも250ccの愛車で、年に7レースある全日本選手権で日本一を目指して走り続け、今年からは新たな挑戦も始めた岡崎さんに話をうかがいました。

弟へのライバル心で始めたバイク

――新型コロナウイルスの感染拡大で4月開幕の全日本選手権が延期になりました。どんな日々を過ごしていましたか?

岡崎静夏(以下、岡崎): 家でできるトレーニングをしていました。一番大切なのが体幹と言われるので、和室でちっちゃいトランポリンをやったり、バランスボールに立ってスクワットしたり。
それに通信制の短大にいたときからずっと、タイヤをあたためるカバーを作る会社で働いているので、仕事をしていました。

――プロライダーであっても、仕事を持たれているんですね。

岡崎: レースが仕事になったことはなくて、レースや練習、撮影やイベントの仕事がないときは働いてきました。通勤は20分ぐらいかけてバイクで行くんですけど、下半身の筋力をつけるためにおしりを少し浮かせた状態で走ったり、バイクを寝かせずに走れるラインはどこだろうとか。もちろん安全は、めちゃくちゃ考えながら。

2年ほど前に髪を染めてから、サーキットでお客さんと話すネタに困らなくなった

――バイクとの出会いは10歳のとき、弟の慎さん(24)のポケットバイクに乗ったのが最初だそうですね。

岡崎: はい。両親ともバイクの免許を持ってて、父は草レースに出てました。それで弟がポケバイを初めて、私に何かを自慢してきたんです。だから「そんなのできるから、貸せ」って言って。弟に対するライバル心でポケバイを始めたんです。3歳からずっと器械体操をやってて、オリンピックを目指すコースに所属していたんですけど、バイクの方が面白くなっちゃって、中1のときに体操はやめました。

めちゃ楽にスピードが出るのが面白かった。それまでは自分で運転できるのは自転車しかなくて、頑張ってこいでも、なかなかのスピードが出ないじゃないですか。でもバイクは右手でブーンってしたら、めちゃ進む。そのスピード感にはまりました。
週末だけのロードレースアカデミーというのがあって、自分が中3のとき、小6だった弟がそこに入ることになったんです。「ずるい!」と思って親に入れてもらえるように頼んだら、「計画してなかったから、急に言われても無理」って。だから、確か年間40万円ぐらいかかった費用を自分で出して、入りました。友だちはカラオケ行ったり、洋服を買ったりしてたけど、私はまったく興味なくて。お小遣いやお年玉をずっと貯めてたんです。あのときが人生で一番、お金を持ってたんじゃないかな(笑)。

自転車とは違うスピード感に魅せられた

「現役女子高生ライダー」と騒がれても、勘違いはしなかった

――2009、10年とMFJレディースロードレースでシリーズチャンピオンになった一方、国際ランクに昇格して、高3で全日本ロードレース選手権にデビューしました。「現役女子高生ライダー」と騒がれて、どんな思いだったんですか?

岡崎: 「こんなふうにレースが盛り上がるなら、ありがたいな」と思ってました。そもそもレースのことを知らない人が多いので、(私を広告塔に)使ってもらえるならうれしいと感じて。周りから見たら「チヤホヤされてる」と映ったのかもしれないですけど、チーム関係者の人たちは厳しくて、4年前に全日本で最高の6位に入ったときにようやく「全日本ライダーみたいになってきたじゃん」って言ってもらったぐらいで。だから「私は速いよ」みたいに勘違いすることもなく、うまく育ててもらえたなと思います(笑)。

――16年には主催者推薦枠で日本の女性ライダーとしては21年ぶりに世界選手権シリーズに参戦。最下位という厳しい結果になりました。

岡崎: もしかしたら、ちょっとぐらいは上位争いに絡めるんじゃないかと思ってたんです。でも、まったくどうにもならなくて、笑うしかなかった。「抜かれた、速っ」って。テレビで見てたときは彼らのことを「魔法使いじゃないか」と思ってたけど、違った。レース中に間近で見ると、みんな自分の技術を駆使していました。たとえばコーナーに入ってから出るまで、体が一定の形になるタイミングがなくて、ライダーがちょっとずつ体を動かし続けてコーナーを回っていました。自分との技術面での差を思い知らされました。

ツーリングでは鎌倉の海沿いを走るのが大好き

弟と所属チームから独立、協力してくれる両親に感謝 

――今年から所属チームのコハラレーシングを離れ、弟さんとチームをつくって活動しています。

岡崎: 12年からずっとお世話になってきて、自分がチームに甘えすぎてると感じることが多くなってきたんです。弟もメカニックとしてコハラレーシングに所属していて、私がチームを離れようかと考えたときに、ちょうど弟も新しい挑戦をしたいと思っていたところだったんです。「じゃあ、二人で1年やってみてダメだったらまた考えよう」みたいな感じで始めました。コハラレーシングのときは、自分と監督のやりとりがあって決めたセッティングに従って、弟がマシンをいじるという形でした。私はライダーとして、弟はメカニックとして、チームで育てていただく中で得た知識をもとに、自分たちで最初から最後までやりたいと思うようになったのです。

4月にあるはずだった全日本の開幕戦が延期になり、8月にようやく開催。結果は7位でした。実際にやってみて二人でレースに出るのは無理だと分かりましたね。

いまは、家族チームになってます。父はメカニックのサブで、母は給油と燃費計算。それに「あと何周」のサインボードを出してくれます。両親に加えてスタッフさん2人をお願いして、6人の態勢でレースに臨んでいます。ここまで両親に頼ることになるとは思ってなかった。それを嫌とも言わずにやってくれて…。「私たちがこれだけやってるんだから、勝てよ」っていう無言のプレッシャーを感じてます(笑)。

新たに見つけたバイクの魅力とは

――「現役女子高生ライダー」と呼ばれたころから10年が経ちました。

岡崎: あっという間でした。高校生のときの勝手な予定では23歳か24歳で結婚して、旦那さんのお弁当をつくって「いってらっしゃい」って言ってるはずだったんですけど、バイクしか乗ってないし(笑)。さらに自分のチームでレースに出るなんて言い始めちゃったり。

バイクの面白さには中毒性があると思います。自分はずっと気合と根性だけで走ってきたんですけど、ある程度で頭打ちになって、転倒も増えて。「やめどきかな」と感じた時期もありました。でも3年ぐらい前に四輪のドライバーだった方と話す機会があって、バイクは勢いの乗り物じゃないってことに気づかせてもらえました。レースは細かい技術の勝負。すべてが物理現象の上に成り立っていて、それを超えることはない。
こう考えるようになってから、マシンコントロールの限界値を探るのが面白くて。またバイクにはまりました。

――男性と同じレースで争えるのも、面白い部分だと感じていますか?

岡崎: 女性ライダーにとっては、男性と対等にやりあえるのがレースの一番の魅力。向こうもちゃんと認めてくれて、ぶつかることもあるし。向こうが引いてしまってると、こっちもやりづらかったりしますけど。腕相撲しても勝てないし、かけっこでも勝てないって分かってる男性に、バイクという道具を使って勝ちを狙いにいける。「面白いスポーツだな」と思います。

転倒して3度も骨折したが、バイクがこわいと感じたことはない

支えてくれる人たちと目指す日本一

――将来的には、どんな女性になっていたいですか?

岡崎: ええ~っ。とりあえず日本一をとったことのある女性になりたいです(笑)。全日本の年間7レースのトータルで1位が理想ですけど、一つのレースでもいいんで、日本一をとりたいです。無謀ともいえるチャレンジを応援してくれる家族がいて、スタッフがいて、スポンサーさんもいる。だからこそ、それだけはやりたい。日本一になるまでレースはやめないだろうな。

●岡崎静夏(おかざき・しずか)さんのプロフィール
1992年6月12日、横浜市生まれ。10歳のときにポケバイに乗り始め、高校3年生のときに全日本ロードレース選手権に初出場。2016年には世界選手権に主催者推薦枠で参戦。昨年は全日本のJ-GP3クラスで総合8位(過去最高は6位、単一レースの最高は4位)。今年1月、弟とともに「RT YOLO! SARD ぱわあくらふと」を立ち上げた。

1971年、大阪府池田市生まれ。大学時代はアメリカンフットボールに没頭。1997年に朝日新聞に入社して以来、ほとんどの時間をスポーツ記者として生きてきた。
フォトグラファー。1988年1月生まれ。写真に写る、ことばの向こう側に魅了され、写真にのめり込む。アスリートのオン・オフを中心に撮影。