遅咲き上等!

47歳で総合職を辞め独立「誰かの何かに応えなければ」と思っていたけれど

1985年、男女雇用機会均等法が施行され、募集や採用、配置、昇進について、女性を男性と同等に取り扱うよう「努力する義務」が定められました。その後、1999年に改正されたタイミングで採用や昇進で男女差をつけることが禁止となりました。そんな流れの最中、1993年から通信会社で総合職のSEとして新卒で働くことになったAさん(48)。昨年25年間務めた会社を辞め、キャリアコンサルタントとしての独立を目指し準備を進めています。働きながらずっと抱えてきたモヤモヤと、独立を決断するきっかけを教えてもらいました。

●遅咲き上等!

誰かの何かに応えなければいけないと思っていた

入社したのは就職氷河期真っ只中。総合職の同期は男女半々で、能力差はないと言われていたし、仕事を進める中で男性と差があると感じたことは実際になかったけど、節々に違和感はありました。

男性の同期はスーツを着ていた一方、私たちは事務職の女性と同じ制服を着ていました。運動会では役員と二人三脚をさせられるなんてことも……。今からは考えられないですよね。「女の子が二人三脚したら、役員が喜ぶから!」というセリフが普通に飛び交っていました。

そんな場面とは対極的に、世の中全体からは「女性が頑張って社会進出しないといけない」という空気も感じていました。メディアからは、女性初の上場企業役員の誕生や、同期くらいの女性営業マンの活躍がバンバン流れていました。
彼女達を目指したいかというと、全くそうは思わなかったけど、「男性と同じくらいバリバリやります!」と言わないと昇進もできないし、昇進をしない自分は「大したことない」人になってしまうという思い込みがありました。

「キャリアプラン」「ライフプラン」なんていう概念を知っていたら、自分がどう生きたいかを考えるきっかけを持てたりしたのかもしれません。
当時の私はそんな言葉も知りませんでしたし、目の前の仕事をただただ一生懸命こなすことだけを考えていました。

体力の限界を感じて配置転換を志願

SEの仕事は激務でした。定時が21時と言われていたくらいで、もちろんそれより遅くまで残業することもしょっちゅう。土日は家でずっと寝ていました。疲労がたまりすぎて起きることができないんです。
最初の数年はそれが当たり前だと思っていたのですが、学生時代の友人達は土日もどこかに出かけたり、趣味を楽しんだりしているらしいということを知って、「ああ、この働き方は異常で、自分の体力は限界にきてるんだ」と気づきました。

これ以上、この仕事を続けてはいけない。

そう思って、異動希望を出しました。
もし通らなかったら会社を辞めるしかないなと覚悟していましたが、運良く希望が通り、人事部への配属となりました。
それまでよりは早く帰るれるようになり、元気を取り戻すことができたと思います。

異動先の部署では、知識のある先輩の下で複雑な事務のノウハウを得ることができて自信になりましたし、そんな中で出した成果を通して、グループ会社の人事部から指名で出向依頼が来た時は嬉しかったです。

「この会社に一生いるわけじゃないな」と思った

そうやって仕事に自信もついてきた中で、会社を辞めようかなと思ったのは、役員会で、私が担当したあるプロジェクトの進捗報告をした時でした。
数年前に着任した天敵のような上司が、理不尽なダメ出しをしてきたんです。その上司は、権力を笠に着て人を虐げる野蛮な人でした。恐怖で人を支配して、人を思い通りに動かす様子は、私にとって大変不快でした。

私からするとそのプロジェクトが進まないのはその上司の責任でもあると感じました。ですが、彼は私達チームの努力を全否定するような叱責をしてきたのです。

私は幼い時から正義感が強く、間違っていると感じたものをそのまま放っておけないタイプ。ほかの同僚のようにうまく受け流せばいいのかもしれないという考えもありましたが、私は自分の意見をぶつけずにはいられませんでした。
何回か衝突しましたが、上司は変わることはありませんでした。

私は、この不快な環境が続くのだとしたら、この会社で働き続けることはできないと思いました。曲がったことにちゃんと立ち向かうようにと育ててくれた両親や、そういう信念を持っている親戚達に対して、私がこんな場に屈しているのが申し訳ないとさえ感じていたんです。

その上司に意見をするといつも返ってきたのが「お前たちは勉強が足りない」という言葉。
理不尽だとは思いつつ、その言葉だけは「確かにそうだな」と感じたんです。
そこで、もっと勉強して、自分の武器を手に入れようと思いました。

ハードなプロジェクトと勉強の両立は正直キツかったですが、「逃げてもしょうがない、もうやるしかない」と思っていました。すごくストレスだったけど、その上司に負けたくなかった。ただ、当時は上司と戦っていると思っていましたが、今思うと、自分の実力や将来に向き合うことが恐くて逃げたくなる自分自身と戦っていたんだなと思ったります。

無事、キャリアコンサルタントの試験に受かり、プロジェクトが一段落したタイミングで会社を辞めることができました。

勉強することで年齢の呪縛から解き放たれた

勉強してよかったなと思うのは、「下積みです!」とこの歳で堂々と言えるようになったこと。自分の身の丈を知って、立ち位置を客観視することができると、もっと勉強したいと思えてくるんです。

仕事を辞める前は、実は独立ではなく転職も視野に入れていたのですが、エージェントから勧められるのはマネジメント層の仕事ばかりでした。
でも、そういう仕事には、全然ワクワクを感じない自分がいました。
組織の中で役職がつくだけが価値ではない。そうでない価値も存在するということを、社外での学びを通じて知ることができたんだなと感じました。

だから、私は自分がワクワクする独立の道を選ぶことにしました。
40代のうちに下積みと言える経験を積めば、50代で働きながら実務を学んでいけるかなと。60代で体力が落ちる前に一人前になれるという計画です。
どうなるかはわからないけど、「弱気にならずに計画通り駆け抜けてやる!」と今は思っています。

  

【取材後記】
「女性総合職として活躍しなくてはならない」「期待に応えなくてははならない」。ずっと抱えてきたモヤモヤに向き合い、独立したAさん。勉強することを通して、モヤモヤを克服し新たな道を進み始めた姿には、「年齢って本当に関係ある?」「私たちも、大丈夫」「年齢を気にせず始めてみることが大事」と勇気をもらえました。