令和に残したい建物「中銀カプセルタワービル」に遊びに行ってきた
●telling,編集部コラム
世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅
中銀カプセルタワーが建てられたのは1972年。元号で言えば平成を飛び越え、昭和の時代です。世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅としても有名なこのビルを設計したのは、建築家の黒川紀章さん。国立新美術館など、国内外の有名な建造物を手がけています。
建物を外から眺めると、たくさんの四角いブロックが積み上げられているような、そんな不思議なビル。
この四角いカプセルは、ボルトで固定してタワーと一体化しているというけれど、地震が来たらバラバラになったりしないんだろうか。
そんなことを思って友人に尋ねたら、「東日本大震災のときでも大丈夫だった」とのこと。ただ、建物自体が古くなっているので外壁がはがれる恐れがあり、今は建物全体にネットをかけています。
カプセル型の部屋は全部で140個あるものの、今は半分近くが空いています。私もビルの中を歩いてみたのですが、玄関の扉が壊れて斜めになった空き家などがありました。とはいえ、友人のように書斎やセカンドハウスとして利用している人も多く、いくつかの部屋には人の気配がありました。
今はひっそりと静かなビルですが、かつては仕事が忙しいビジネスマンなどが慌ただしく出入りしていたのかもしれません。住人は減っても建築物としてはファンが多く、私が訪れたときも何人かの人たちが向かいの歩道橋から、このビルの写真を撮影していました。
保存できる? 解体されるの?
そんな名建築・中銀カプセルタワーですが、実は取り壊しの危機にさらされています。。理由は建物の老朽化やアスベスト問題。設計当初の予定では20~25年に一度のペースでカプセルを取り換えていく予定でしたが、結局一度もカプセルの交換は実現しないまま今に至っています。
友人の話によると、竣工当初に標準装備だったセントラルヒーティングや給湯の集中管理はすでに故障により停止していて、現在はそれぞれのオーナーがエアコンを設置しているそうです。
さらに、給水管や排水管の調子が悪く、晴れた日でも雨漏りがするといいます。あちこち修繕が必要です。友人はこうつぶやいていました。
「もし、初期の段階から大規模修繕を計画して実行していたら、取り壊しの危機もなかったんじゃないか。中銀カプセルタワービルが造られてから47年。今、自分も同じ年齢です。そう思うと、このビルの存続問題は心情的に複雑なものがある」
当時、ここを所有していた人たちがどのように考えていたのかは私にはわかりませんが、友人が言うようにもっと早く手を打っていれば、ここまでの老朽化は免れていたかもしれません。
このビルをめぐっては「保存すべきだ」という意見もあり、「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」として、実際に活動している人もいます。
もし、このビルがなくなってしまったら、町の雰囲気が変わるでしょう。そしてまた新しい建物が建つ――。街がきれいになって活性化される一方で、古くからある建物が消えていくのはなんだかちょっと寂しい。
元号が平成から令和に変わることで、なんとなくウキウキした気分になっていましたが、残していきたいものもたくさんある。そんなことを感じた、ある日の午後でした。