【ふかわりょう】連休なんて、いらない?
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」28
ハッピー・マンデーのおかげでまとまった休みが取りやすくなった反面、祝日の個性は薄まりました。かつては、火曜日や不意の木曜日にあったりして、それはそれで嬉しかったものですが、飛び石よりは旅行に出かけやすかったり、経済効果もあるのでしょう。
まもなく訪れる大型連休。多い人は最大10日とのことですが、全員が歓迎しているわけではないでしょう。誰もが海外に行きたいわけではないですし、そんなに休めるほど余裕があるわけでもありません。
私の場合、あまり祝日に影響されないものの、やや改元特需があるくらい。もしも仕事をしない10連休だとしたら、自主的に取る夏休みとは違って、歓迎はできないかもしれません。むしろ、仕事があってよかったと思ってしまうのは、独身だからでしょうか。
これだけ個人化、多様化が進んでいるからこそ、全員が同じタイミングで休むことに価値があるのか、休暇のタイミングも個人に合わせるべきなのか。休む自由。なまじ、「日本人は勤勉」という魔法の言葉によって経済復興を遂げたものだから、休むことに何らかの抵抗を持ってしまう人も少なくない。ヨーロッパなんか行くと、もう休みたくてしょうがないという空気が蔓延しています。休暇を充実させてこその仕事。それぞれの国民性なので、他所の国に合わせる必要はありませんが、我々はどうしても「休む」ことに対する後ろめたさや罪悪感のようなものがいまだに払拭できていないようです。「ワークライフ・バランス」という言葉も長い間耳にしていますが、結局政府の力で、「休むことを強いる」ような改革が推進される始末。ここまでしないと、日本人は、十分に休めないのでしょうか。
休符のない音楽は息苦しい。理想を言えば、自由に休める空気と、休むことがいけないことではないという意識。経営側からすれば大変でしょうが、時代はもう舵を切っています。とある企業は、実験的に週休3日を導入するとのこと。いつしか、仕事の日を休日が上回るのかもしれません。いずれにせよ、休みなさいと言われて休むのではなく、能動的に休めたらいいのですが、日本人は、「ご自由に」がめっぽう弱い。
前へ倣えをして整列する生徒達は、外国人からすると軍隊かと誤解されるそうです。日本人の協調性や調和を重んじる精神は、ラッシュ時の駅のホームや震災の際には良い方向に作用する反面、一度、「自由で」と言われるとどうしていいのかわからなくなってしまう。周囲と違う行動をとることに対する抵抗感。集団や調和を重んじてきたことで、個人化の動きがゆっくりになってしまったこの島では、下手に個人的な行動をとると空気が読めないとか、異端のレッテルが貼られてしまいます。定時に帰るべきかどうかは別として、集団と個のせめぎ合いは、ずっと続いてきたのです。
個人の都合で自由に休める時代がいつ訪れるのかわかりませんが、とりあえず今年の大型連休は、テレビに映される渋滞を眺めながら、のんびりお酒でも飲みたいと思います。
タイトル写真:坂脇卓也