松本薫「相手の呼吸、視線、口角を見る。柔道での戦い方が接客に生きてます」

2019年2月、柔道の現役選手引退を発表した松本薫さん。引退会見で飄々と「アイスクリーム作ります」と答えた姿が大きな反響を呼びました。telling,が「30歳までに結婚しなくてはいけない!」「結婚したら次は妊娠!」という“誰かが決めた当たり前”に対するもやもやとした思いに寄りそうメディアだと伝えると、多くのアスリートの方がセカンドキャリアとして選ぶ指導者やスポーツコメンテータなどの道とは別の道を歩き出した松本さんは、うんうんと深く頷いてくれました。

柔道との接点はオリンピックという「夢」や「目標」だけだった

――「指導者にはならないの?」ときっとたくさん言われたと思いますが、実際どうお考えだったのでしょうか。

松本さん(以下、松本): 振り返ってみると私にとって柔道は「好き!」という気持ちで続けてきたというより、「オリンピックに出る」という目標や夢のためのもの、接点はそれだけだったように感じます。
私の言葉を求めてくれる後輩がいればその子に伝えられることもあるとは思うのですが、柔道を教えるだけという人生は考えられなかったです。

――「こうすればいいのに!」という周りの言葉に左右されることはなかったですか?

松本: 私も色々と言われているとは思うんですけど、自分に都合の良い話だけを受け入れるようにしている方ですね。人の意見を“聞く”のは大事なことだけど、そのすべてを“受け入れる”必要はないのかなって思います。
アスリートの場合は、いろんな指導者の方が自分の経験や考えで指導をしてくださる。人によっては正反対のアドバイスもあります。どれも一度は試してみるようにしますが、合わなければすぐ、ぽんっと違う方法に切り替えていました。

――人の意見を聞き過ぎないことというのは、心が強くないとできないような気もします。

松本: いろんな意見を受け止め過ぎちゃう人って、「好かれようとしてる」から疲れてしまうんではないでしょうか。
私の場合は、私を好いてくれる人はたくさんいることがわかっていて、私の大切な人っていうのも決まっていて。すべての人に好かれようと思っていないので、不要な言葉があまり自分の中に残らないんだと思います。
たくさんの人に関われば、それだけたくさんの言葉も浴びることになると思いますが、それが本当に自分にとって必要な言葉なのかどうか、自分に合っているかどうかは自分にしかわからないことですから。

アスリート時代とは違う「食」への向き合い

――そんな中、アイス店という未経験の世界へ飛び込みます。

松本: 現役時代から、引退したら何をしようと考えることはあったんです。
引退を会社に報告した時に、会長から「次は何がやりたいのか?」「柔道に携わっていきたいか?」と聞かれ、「指導者になりたいとは正直思っていません、でも選択肢がそれしかないのであればやります」とストレートに伝えました。
そうしたら、別のセカンドキャリアについても提案してくださったんです。会社の事務職なんかも候補にあったんですよ、きっと向いてないとは思うんですけど(笑)
その中で、昔から好きだったアイスクリームについての事業計画の話を聞いた時に「面白そう!」と思って「やりたいです」と言いました。

――今はどんな毎日を過ごしていますか?

松本: 日々、みんなと一緒にアイスクリームを作ったり、店頭に立ったり、業者の方とメニューのアイディアについて打ち合わせをしたりしています。
アスリートとして食べ物に気を遣ってきてはいましたが、アレルギーや添加物についてや、消費者を意識した商品づくりなど知らないことがたくさんあり、学ぶことが多いです。

――どんなお客さんが来店していますか?

松本: ご高齢の方も来てくださったり、アレルギーで乳製品を口にできない方が遠方から足を運んでくださっていて200人以上がいらしてくれたこともあります。

相手の表情を見る癖が接客に生きている

――店頭で接客をしてみていかがですか

松本: 接客は人生ではじめて。でも、柔道という対人競技の経験が生きていると思います。選手時代、相手の目線の位置、力み方、汗や顔色を見て戦い方を考えていたのですが、接客もそれと一緒。お客さんが待ち疲れてないか、眉の動かし方や広角の動きなどをみるとわかるんです。

――眉の動かし方や広角で‼︎他の柔道選手もみんなそうなんですか?

松本: そういう選手はあまりいないかもしれません。何かの技術がずば抜けている天才型の選手は、相手によって攻撃スタイルを変えたりはしないと思います。
私は凡人選手だったので、相手によって戦い方を変えるしかなかったんです。私の柔道は「なんでもできて、なんにもできない、器用貧乏な柔道」だったので。

――その戦い方は指導者の方から伝授されたんですか?

松本: いえ、指導者の方からは技術の指導が中心でした。でも、そういうずば抜けた技術を持った選手と同じように練習してもどうしても追いつくことができなかった。その時に身につけたのが、「自分を知り、相手を知る」ということ。野獣モードで相手を睨みつけた時に、前に構えるタイプの選手か、後ろに引くタイプの選手か、それによってどの技が有効か。自分が凡人だということを知っているから、相手をよく見てその都度やり方を変えるという方法でやっと天才たちに追いついているような感じでした。

――ご自身で開発なさったんですね…。

松本: でもまさかそれが接客業に活かせるとは思っていませんでした。
お客さんが最初にお店に入ってきた時の雰囲気、表情、商品の受け取り方をはじめ、お店から出る時に私のほうをちらっと見る方、キラキラした目でアイスだけを見つめながら「早く食べたい!」という顔で帰られる方、名残惜しそうにしていく方。改めて、お客さんも様々だなぁと感じていて、そういったみなさんの表情を研究しながら、より良い接客の仕方を毎日勉強しています。

ただ、試合はどんなに多くても1日5人だったところが、今はお客様の数が多いので毎日ヘトヘトになります(笑)。それでもついつい癖で、一人ひとりのお客様に目がいってしまうんですよね、「嫌な思いはされてないかな?」って。

選手の頃とはまた違う「疲れ」もありますが、それは良いお店の土台づくりのためだとも思っているので、楽しいです。一人でも多くの方の思い出の1ページに残るように……というのが私の願い。そのために、オープン当初の話題性に掻き消されないような、本当に体に良いアイスクリームづくりに夢中で取り組んでいます。


▲ココナッツミルク×チョコクッキーと、豆乳×焦がしキャラメルのダブルに、クッキーとヘーゼルナッツキャラメリゼのトッピングを。

●Darcy’s(ダシーズ)
乳製品や白砂糖不使用、グルテンフリーで食べても罪悪感のない「ギルトフリー」のアイス店。東京都新宿区「東京富士大学」キャンパス内にラボを構える。
https://darcy-s.com

●松本薫(まつもと・かおり)さんプロフィール
1987年生まれ、石川県出身。柔道選手として、2012年ロンドンオリンピック金メダリスト、2016年リオデジャネイロオリンピック銅メダリスト。2019年2月、現役選手を引退。

現在肩書き無し。30歳の夏、港区での彼氏との同棲を解消、同時に8年マネージャーとして勤務した芸能事務所を退社する。ライター業ではお笑いやサブカルチャーに関するコラムをwebサイトに寄稿など。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。