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不妊症を経てたどり着いた、特別養子縁組という選択 久保田智子さん

かつてTBSアナウンサーとして多くの番組に出演し、現在は同局の報道記者として活躍する久保田智子さん。2019年1月に特別養子縁組で長女となる娘を迎え入れ、子育てに奮闘中です。特別養子縁組制度の選択に至るまでには、20代で知った自身の不妊症をはじめ、さまざまな葛藤があったと話します。「子どもと生きる」ことをどのように捉え、パートナーと考えを共有してきたのでしょうか。これまでの道のりと思いについて、話を聞きました。

「オメデタ」という言葉が好きじゃなかった

「妊娠は難しいでしょう」
久保田さんは20代前半のころ、生理不順をきっかけに病院で検査を受けた際、医師から不妊症で子どもを授かるのは難しいことを告げられました。

結婚して子どもが生まれて、家族になっていく――。ごく当たり前に描いていた人生を、自分は送れないのかもしれない。当時の心境について、久保田さんは「結婚して子どもが生まれることは、普通に起こるものだと思っていたし、そうでありたいという思いが強かった。自分が思い描いていた『当たり前のこと』が、自分にとってはそうではないとわかり、ショックでした」と明かします。

20代後半から30代前半にかけて、結婚や妊娠について考える時間を重ねるたびに、その葛藤はどんどん大きく膨らんでいきました。

妊娠や出産など、喜ばしい人生の転機に使う「オメデタ」という言葉についても「好きではなかった」と当時の胸の内を打ち明ける久保田さん。「アナウンサーの仕事で、著名人の妊娠や出産を『おめでとうございます』と伝えながら、自分には『オメデタ』が来ないのかな、と。友人や知り合いの妊娠や出産に対しても、嫉妬の感情と、幸せを喜べない自分に対する侮蔑の気持ちが湧き上がってきて、『私はなんてひどい人間なんだろう』と思っていました」

恋愛中も、結婚を意識するようになると、子どもができないことで相手を苦しめるのではないかと思い悩み、自分から距離を取ったことも。

「子どもが産めないからこそ、子どもを持つことへの執着がどんどん強くなっていったんだと思います。子どもができない『穴埋め』はどうしたらいいんだろう、と。究極的には生きている意味は何なのか、哲学的なことにすがっていた時期もありました」

子どもがほしいという「執着」から解放された瞬間

その「執着」で心が張り詰めていたあるとき、目にしたのが「特別養子縁組制度」で子どもを迎え入れた家族の姿を追うドキュメンタリーでした。特別養子縁組は、さまざまな事情で生みの親が育てられない15歳未満の子どもに、家庭との縁を結ぶための制度(※)。養親が家庭裁判所に申し立てることで、法的に実の親子と同じ関係になることができます。

「こんな風に子どもを持つ選択肢があるんだ」

アナウンサーとして担当している番組中にそのドキュメンタリーを見た久保田さんは、ふっと心が緩むように、そして暗闇の中に一筋の光が差し込んだように感じたと言います。「制度の存在は知っていましたが、当事者の顔を見て初めて自分事として捉えることができました。そして少し俯瞰(ふかん)して『なぜあんなに子どもを産めるかどうかが全てだと思っていたのだろう』と、産むことへの執着から解放されて楽になれたんです」

(※)2020年の民法改正で、養子となる子どもの対象年齢が原則として「6歳未満」から「15歳未満」へと引き上げられました。

ポジティブな夫の言葉に救われた 人生観が変わった学びとは

テレビ局で働く夫との出会いもまた、久保田さんの視界を広げるきっかけになりました。久保田さんが38歳だった2015年に二人は結婚。数週間の恋愛期間を経て彼からのプロポーズを受けた際、久保田さんは意を決し、不妊症であることや特別養子縁組を検討していることを伝えました。

「じゃあ、一緒に考えていこう!」

返ってきたのは、そんな拍子抜けするような明るい言葉でした。

夫は距離をはかる間もなく、どんどんこちらの心に入ってくるタイプの人、と久保田さん。「『月9』ドラマが大好きで、その影響を受けているせいなのか、『僕は君といることが大事であって、子どもがほしいから君といるんじゃない』とまで言ってくれました(笑)」。そんな夫のポジティブな姿勢と元気になる言葉に、心が救われたと話します。

「夫は、解決しないことを悩んでもしかたがない、できることをやっていこうというスタンス。それまでは、『子どもができない=相手を幸せにできない』と思い込んでいましたが、夫の生き方から『自分の幸せは自分が握っている』『二人の幸せも二人で作っていく』ということを学びました」と、夫と接する中で人生観の変化があったと振り返ります。

第三者がいてくれて重なった、夫婦の思い

久保田さんは2016年にTBSを退職後、夫の赴任先のニューヨークへ。現地の大学院に通いながら、特別養子縁組の民間あっせん事業者などについて情報を集めました。帰国後、「説明会に行ってみない?」と夫を誘い、特別養子縁組に登録するための面接や研修を二人で受けました。

「特別養子縁組の話を夫に切り出すのには、やっぱりパワーが要りました。ただ、二人ではなかなか話しにくい内容も、民間あっせん事業者の相談員が『なぜ子どもがほしいと思うのか』『子どもにどう育ってほしいのか』などと聞いてくるので、自分の考えを言語化すると同時に、夫の思いも知ることができました」

第三者を交えて話すことで、子どもがいる生活を送りたいという夫婦の強い気持ちを確認し合うことができた、と言います。そして、家庭で暮らせない子どもを取り巻く状況などを学ぶうちに、特別養子縁組が子どもための制度であるという考えも深まっていきました。

多様な選択、自分が納得できる道を

2019年に特別養子縁組で生後間もない女の子を迎え入れて家族となり、久保田さんは翌年に報道記者としてTBSに復職。いま、子育てに仕事にと忙しい日々を過ごしています。

今年(2023年)4歳になった娘は、表情の作り方をはじめ、仕草や口癖、性格までも久保田さん夫婦にそっくりなのだそう。「一緒に過ごしているから当たり前なことかもしれませんが、自分たちの子どもへの影響力の大きさを実感しています」と久保田さん。
最近は自我が発達し、久保田さんに言われたことを嫌がってクローゼットの中に隠れたり、靴をわざと逆に履いたりすることも。「当然イライラしますし、子育てに葛藤や不安もありますが、夫婦で『いまの生活、すごくいいよね』と口をそろえて喜びを感じています」と話します。

「私は子どもが持てない人生なんだと思ってきたので、特別養子縁組でいま子どもとともにいること自体が『奇跡』なんです」

夫と出会い、自らの思いや体験を周囲に隠さずオープンに伝えられるようになったことも、前向きになれた理由だと振り返ります。

いま、久保田さんがメディアで働く一人として力を入れているのが、子どもを取り巻く社会的・経済的な諸課題を“大人に知ってもらう”ための動画コンテンツの配信です。生まれた環境にかかわらず、全ての子どもが出来るだけ等しくさまざまな体験や機会を得て、複数の選択肢を知りえる状況で育ってほしい――。そうした久保田さんの考えの背景には、「娘もタイミングしだいではいま別の環境にいたかもしれず、ほかの子どもたちのことも決して他人事ではない」という思いがあります。

特別養子縁組は、どんな環境に生まれても幸せになれるよう、子どもたちを守るために大人が整える「子どものための制度」の一つ。「大人が子どもをもっと気にかけて関わっていき、社会で育てる世の中になってほしい」。久保田さんはそのように願っているのです。

特別養子縁組という選択肢と出会うまで、一つの価値観に縛られ、苦しんだ経験があるからこそ、久保田さんには不妊症で悩む人に伝えたいメッセージがあります。それは「あなたが持っている選択肢は決して一つではない」ということ。ほかの生き方もあるのだと知ることで余裕を持って考えられるようになる、そう話します。

「不妊治療を受ける選択だけではなく、夫婦二人で生きていくという選択、里親や特別養子縁組制度もあります。選択肢を並列に考えてみると、私の世界は広がりました。自分自身が納得して自分の道を選ぶことが重要だと思います」

<プロフィール>
久保田 智子(くぼた・ともこ)さん
1977年生まれ、広島県出身。TBS報道局記者。東京外国語大学卒業後、2000年にTBS入社。アナウンサーとして『どうぶつ奇想天外!』『筑紫哲也 NEWS 23』『報道特集』などを担当。15年に結婚後、TBSを退社して渡米、コロンビア大学大学院にて修士号を取得。18年に帰国後、20年にジョブリターン制度を利用し、報道記者としてTBSに復職した。現在は報道局デジタル編集部に所属し、「TBS NEWS DIG」の編集長を務める。