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二人で不妊治療を乗り越えるためのヒントとは タレントの川村ひかるさん

かつてグラビア女王として活躍したタレントの川村ひかるさんは、20代で子宮内膜症、30代で若年性更年期障害と脳動脈瘤を経験しました。自ら生活習慣を変えて体調を整え、不妊治療を経て2016年に長男を出産。現在は、栄養に関する資格を生かし、健康や妊娠などの啓発活動に熱心に取り組んでいます。パートナーとは、不妊治療にどのように向き合ったのでしょうか。当時の葛藤や、二人で不妊治療に取り組むうえでの心構えなどについて聞きました。

痛み止め薬がないと不安で仕方がなかった

――20代で子宮内膜症の診断を受けたと伺っています。

20代前半のとき、月経の1週間前から腰痛や怠(だる)さなどのPMS(月経前症候群)の症状が現れ、月経中は貧血と頭痛がドーンと来る感じでした。月の半分は体調が悪くて、痛み止めの薬がポーチの中に入っていないと不安で仕方なかったですね。

当時はグラビアの仕事が忙しく、海外での撮影もありましたので、体力的にも辛かったです。
月経が始まるとむくみの影響で撮影中に顔の表情が急に変わることもあって、これはおかしいなと。

病院を受診したら、子宮内膜や類似組織が子宮の内膜以外の場所にできる病気「子宮内膜症」ということを告げられました。排卵を止める低用量ピルを飲んで不快な症状を和らげていました。

――30代で診断を受けた若年性更年期障害とは、どのような症状ですか。

めまいや動悸、冷や汗、ホットフラッシュ(ほてり・のぼせ)が起こる病気です。診断を受けたとき、医師からは「卵巣を1つ取った人ほどの低いホルモンの数値」とまで言われ……「えぇ?」とびっくりしました。私は子どもを産みたいと強く望んでいたので、これは体質改善をしなければと思いましたね。

食生活を変え、大好きなお酒もやめた

――体質改善には、どのようにして取り組まれたのですか。

ストレスを軽減するため、体に負担がかかる仕事は諦めました。食生活も自炊を心がけ、玄米のおにぎりを仕事に持参したり、大好きだったお酒をやめて代わりにカフェでハーブティーを飲んだり。夜遅くに友達と集まることも控え、夜10時からは「自分の時間」と決めて、睡眠をしっかり取るようにしました。

そうして生活を見直すなかで、症状は少しずつ改善していきました。

――日々無理なくできることを続けていくことが大事なんですね。

本当にそう思いますね!

私が考案した「妊活ABC」という言葉があります。(A)当たり前のことを(B)馬鹿にせず(C)ちゃんとする、という意味です。これを食事や睡眠に当てはめると、思うより簡単にはできないんです。でも、元気な体の土台として必要なことですよね。

ブライダルチェックで夫の不妊が発覚

――不妊治療には、結婚前からパートナーと取り組んでいたそうですね。

夫と出会う前から不妊治療の情報を調べたり、セミナーを受講したりしていました。まわりからは「ひかるちゃん、まだ早いよ」と言われましたが、私は早めに不妊治療に取り組んでおいてよかったと思います。

――不妊治療を始める経緯について教えていただけますか。

夫と出会ったのは35歳直前。そのころ、私に「脳動脈瘤」と呼ばれる血管の瘤(こぶ)が見つかりました。破裂の危険はなかったものの、病のオンパレードだったので、もうあまり時間がないなと。

夫と結婚を前提に付き合うことになったタイミングで、「子どもが欲しいけれど、自然にできる自信はない。結婚の前に不妊治療をしない?」と私から提案し、二人でブライダルチェック(※)に行って検査を受けました。

(※)妊娠や分娩に影響のある疾患や感染症の有無などを調べるヘルスチェックのこと

私の方は問題がなかったのですが、夫が精液検査で引っかかり、精巣を切って精子を回収する「TESE(精巣内精子採取術)」が必要だと言われ……。まさかの結果に、彼の顔は真っ青でした。

――お二人でどのように受け止められましたか。

彼は手術を受けるか悩んでいました。私は、彼に嫌な思いをさせたくありませんでしたので、なるべく明るい未来の話をして彼を励ましました。「子どもができたらこんなところに行きたいね」と提案して、手紙を書くなどして私との子育てをイメージしてもらう、ということもしました。

彼の手術は無事成功し、その後、私が採卵して、1回目の顕微授精(※)で妊娠できました。母子手帳をもらったあとに、二人で婚姻届を出しに行きました。

(※)顕微授精……体外受精のうち、1つの精子を卵子に直接注入する方法のこと。

夫婦で話し合い、同じ方向を目指した

――不妊治療中から出産までは、夫婦の間でどのような接し方を心がけていましたか。

治療中は、採卵前に卵胞を育てるため、自分でお腹に排卵誘発剤を注射しました。手が震えるほど怖かったのですが、夫は「1、2、3で行こう!」とそばで声をかけてくれました。誘発剤の副作用で体調が悪いときは、夫が家事を代わってくれて、病院への付き添いや送り迎えも協力してくれました。夫婦で話し合って、一緒に同じ方向を目指せたので、心強かったですね。

妊娠当初は、一卵性双生児かもしれないと医師に言われましたが、二つのうちの一つは育ちませんでした。妊娠中、インフルエンザや肺炎にもかかりました。さらに、臍帯(さいたい)が卵膜(胎児や羊水を包んでいる膜)に付着していたため、37週目で帝王切開をして産みました。「オギャー」という元気な声を聞いたときは、バーッと涙があふれました。やっと会えたと。はじめて抱っこしたときは、「私の赤ちゃん―!」という感じで大喜びしましたね。

――川村さんは、第二子の不妊治療にも取り組まれたそうですね。

私は可能なら2人授かることを望んでいたので、第一子の際に凍結して残しておいた受精卵を体内移植しました。しかし、妊娠は叶いませんでした。

第二子に向けた不妊治療は、もともと42歳でやめようと考えていました。現在43歳ですが、少し諦めきれていない気持ちもあって、最近夫とも話したんですよね。ただ、夫は私の体を心配し、生まれてくれた息子を大事に育てたいとの意見でした。自然に産むことができるのであれば、諦めなくても済んだことかもしれないけど、私たちの場合はそうではない。不妊治療には、精神的な負担だけではなく、体力・時間・お金もかかります。

結婚は、それ自体がゴールではなく、夫婦が船の舵を合わせて漕ぐ方向を示し、進めていくもの。そういう意味では、いまは夫の意見を受け入れざるを得ないのかな、というのが私の思いです。日々葛藤していますね。

ストレスとの向き合い方、不妊治療と仕事を両立する方法は

――不妊治療でストレスを抱え、なかなか前向きになれないときはどうしたらよいでしょうか。

自分が考えたことを形にする「思考の実現化」を目指すことが大事だと思います。私の場合、この治療を乗り越えたら子どもに会えるという思いを強く抱いていたので、前に進むしかないという気持ちでしたね。

結局は自分の身に起きたことを受け入れるしかないのかなと。「何で私の体はこうなってしまったんだろう」と悩み、自分の身に起きていることを見て見ぬふりをするのではなく、「いま私はきっとストレスを抱えているんだな」と受け入れる。そして、少しずつ肩の荷を下ろして前向きなマインドで方向転換することができたのがよかったのだと思います。

――仕事と不妊治療の両立に悩むカップルも多くいます。

可能であれば、職場には不妊治療中であることを伝えた方が良いと思います。1回の受診にかかる時間はとても長いです。私の場合、3~4時間かかることもあって、もう疲れてヘロヘロでした。治療のスケジュールを年単位で見通し、3カ月ぐらい先までの治療予定をマネージャーに伝えていました。

一人で仕事を抱えず、潔く断ることも大切だと思います。自分に元気がないと、仕事のパフォーマンスも十分発揮できず、自己嫌悪やストレスにつながる可能性があります。

不妊治療についてもっと社会の理解が進めば、両立しやすくなると思います。不妊の原因が男性側にあるケースも少なくないので、検査や治療へのハードルがもっと下がるとよいですね。

自分の経験を交え、妊娠に取り組む人をサポート

――ご長男の子育てはいかがですか。

6歳の息子はもうすぐ小学生になり、性格はとても活発で意欲的。最近は習い事の合気道にはまっていて、「道着で学校に行きたい」と言っています(笑)。私は子どものころに柔道を習っていたので、息子に足技をかけるのですが、彼はすぐに立ち上がって「もう一回!」と喜んで挑んできます。

小学校では友達とたくさん経験を重ね、失敗を恐れず、好きなことにどんどんチャレンジしてくれたらうれしいですね。

――妊娠に向けた啓発活動に熱心に取り組まれていますが、どのような理由で始めたのですか。

私が不妊治療や妊娠をしていたとき、医師からは食生活について「栄養のある消化のいいものを食べて」と、大まかな言葉しかもらえませんでした。妊娠に取り組む人をサポートしたいとの思いから、出産後に栄養の勉強を始め、現在は、自身の不妊治療の経験を交えながら体調管理や栄養の大切さをセミナーで伝えています。

――最後にメッセージをお願いします。

不妊治療に取り組んでいる方には、パートナーの意志をしっかり確認して、支え合ってほしいです。治療を検討している方も、検査をしないと分からないことがたくさんあるので、パートナーと一緒に検査を受けてもらえれば。

私も今後、幅広くサポートを続けていきたいと思います。

※当記事には個人的な見解も含まれます。

●川村ひかる(かわむら・ひかる)さんのプロフィール
1979年生まれ。東京都出身のタレント。グラビアやバラエティー番組での活躍を経て、栄養や健康管理などに関する資格を取得し、活動中。2013年に『発酵美人』(幻冬舎刊)を出版した。