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「自己責任だと追い込む社会 忘れてはいけない」ライター・長田杏奈が語る桐野夏生最新作

日本社会に存在する格差や性差別を魅力的な人物と衝撃的なストーリーで描き、日本そして世界の読者を魅了してきた小説家・桐野夏生さん。最新作『燕は戻ってこない』が3月4日、発刊されました。 「代理母」という、多くの日本人にとって馴染みのない存在を描く本作品ですが、登場人物たちのおかれている状況にはどれも、実在の人物を重ねたくなるリアリティがあります。主人公は非正規雇用と貧困から抜け出せない29歳のリキ。他方、不妊治療が成就せず代理母依頼を決意した草桶夫妻は、充実した職業人生と盤石な経済基盤を持つカップルです。 この作品について「女性の自尊心を応援する」をモットーに執筆、情報発信を続けるライターの長田杏奈さんに語ってもらいました。

“女性が決める・語る”難しさに気付いた

――美容ライターとして、女性や少数派に関する啓もう活動や情報提供に取り組まれています。きっかけはありましたか?

美容ライターとして多くの女性に接する中で、女性が「自分の問題」と捉えていることの中に、社会の構造的な問題が含まれていることに徐々に気付きました。

2020年には、責任編集という形でエトセトラブックス『エトセトラ VOL.3 私の私による私のための身体』に携わりました。“My Body My Choice”というスローガンで語られてきたような、体や性の権利、自己決定について扱った本です。

70〜80年代の調査資料をあたりながら、「時代は進んだはずなのに、この時代より自分の身体や性について自分の言葉で語りづらくなっているのでは」という疑問が芽生えました。『ハイト・リポート』や『モア・リポート』へのリスペクトを込めた『エトセトラ・アンケート』で、「自分の身体を自分のものじゃないように感じたことはありますか?」と問いかけたところ、多くの人がそういう経験をしていました。性暴力、ジェンダー観やボディイメージの押し付け、ルッキズム……。たくさんの不条理や切実な生の声に触れ、泣きながら読んだことを覚えています。

それで「知ったからには無視できない。私のできる範囲でどうにかしたいと。美容ライターとして、ルッキズムやジェンダー観、ボディイメージに近い分野にいるので、発信の仕方には責任を持っていかなきゃな、と強く思いました。周りの友人たちからもたくさんの影響を受け、19年から身の丈で自分なりに女性を支援するための活動をはじめました。

――今はどんなことに取り組まれていますか?

南米で身体の権利を訴えている女性たちが緑のバンダナを身につけることにインスパイアされ、友人とオリジナルのバンダナを考案し、国際女性デーに公開しました。緑の生地に子宮やIUD(子宮内避妊具)、緊急避妊薬などのモチーフを散らし、「性と生殖に関する健康と権利と正義」(リプロダクティブ・ヘルス&ライツ&ジャスティス)の実現を訴えています。利益はすべて、自主制作している「性暴力被害者支援のワンストップセンター短縮番号ステッカー」、「DV相談ナビステッカー」、「レイプカルチャーピラミッドステッカー&ポスター」などの配布活動に使う予定です。

女性の構造的な困窮、浮き彫りにするストーリー

――桐野夏生さんの『燕は戻ってこない』はリプロダクティブ・ヘルス&ライツとも大きく関係する「代理母」というテーマを扱っています。どんな感想を抱きましたか?

女性の構造的な困窮に目を向けて、そして体の権利というものについて、「わかりやすい正論」で裁いていくのではなく、色んな個人の逡巡とか矛盾まで含めてストーリーを紡いでいるところを、とても誠実に感じました。小説を通して、個人の体験や自己責任に押し込まれがちな社会課題を、読者にわかるように書いてくださったということにまず大きく感銘を受けました。

妊娠・出産というテーマに関わる人たちにとって、この作品がどれほどたくさんの示唆や考えるきっかけを与えてくれることか……当事者以外にとっても、想像力を持ってもらえるきっかけになるはずです。

このようなテーマが設定されているということに、個人的にはとても勇気をもらいました。あたかも「自己責任」で選んだかのように決めつけられがちな選択が、本当は社会構造や権力の差によって選ばされたものだったのだ、という現実を可視化する作品だと思います。こういう悔しい構図に苦しんでいる人は、現実にたくさんいますよね。だけど、その立場から説明しても、真摯に受け止められづらい。あなたが自分で選んだのでしょうと飲み込むことを強いられたり、タブーを破ったスティグマを負わされたりしてしまいます。

「追い込んだ社会」忘れないでほしい

――心に残ったシーンを一つ挙げるとすればどこでしょうか?

代理母をお願いした夫婦の妻である悠子は、その決定について友人のりりこに反対意見を呈され、さらには「代理母のリキはお金がないから、売るものがないから、自身の卵子と子宮を売った。あなたのやっていることは搾取だ」と喝破されます。

現実世界では、社会的な圧力の中でそれを選ばざるを得ない状況に追い込まれているにもかかわらず「あなたが選んだ」と自己決定であるかのように言われてしまうことが、往々にしてあると思います。そこに追い込んだ社会があるっていうことを、背景を、忘れてはいけないと気付かされるシーンですよね。

私自身は、思想の核の部分は正論タイプなんですよ。その正論を、言葉にして人にぶつけるということはあまりないですけど……だから、このシーン以外にも、りりこの言葉には「それよ!」とスカッとするものが多くありました。

ハードボイルドな主人公が持つ「感覚への誠実さ」

――桐野さんの描く女性は、『燕は戻ってこない』の主人公のリキもそうですけれど、強いですよね。

そうですね。私は、桐野さんの描く女性のハードボイルドなところが好きなんです。一つ一つの出来事に、一つ一つ個人として反応して、そうして感情や行動が積み重なっていく。なんというか、こういう状況になったらこうだろうみたいなテンプレートや自動思考に飲まれない、個人として感じて考える女性像がかっこいい。

――読者の中には、そんな風に目の前の出来事に冷静に向き合えず、テンプレート的な「こうあるはず」に振り回されてしまう人もいると思います。

感情は幼稚だという理性偏重や、ネガティブな感情に蓋をするポジティブ至上主義が徹底的に刷り込まれますからね。これも自己責任ではなく、社会課題です(笑い)。封印されがちな怒りや悲しみや迷いも含め、ちゃんと自分の感情、反応を味わって、考えて、感じて……ということができるのは、生きているからこそできるとても豊かなこと。「こうあるはず」に固められてる方がもし作品を読んだら、主人公のリキの姿に、「自分の感覚への誠実さ」を感じ取れるんじゃないでしょうか。

そして、反論したいのについ言葉を飲み込んでしまう、という体験をしたことのある人は少なくないと思いますが、そんな方たちにとっても、リキたちの「しっかり言い返す」姿勢はかっこよく、心惹かれる姿に映るのではと思います。

“子を持たねば”という呪い どう抜け出す

――登場人物の一人である基(もとい)は、主人公リキに代理母を依頼する男性です。両親ともにバレエダンサーで、自身もその道で成功を遂げている基は、自分の遺伝子を継いだ子どもを誕生させることに執着しています。彼についてどう思いますか?

私の嫌いなタイプの男の人です(笑)でもこういう人って本当に多くて。悪気がない分よけいに厄介だったりします。自分の特権に対して、すごく無邪気で無自覚な人ですよね。その人なりに努力はしているから、特権を指摘されると怒り出しちゃったり。

――基の配偶者、悠子についてはどう思いますか? 不育症と卵子の老化について診断され、夫とともに代理母に依頼することを決断した女性です。

子どもを持たない人生を一度は受け入れたはずなのに、どうしてもとくい下がる夫に説得されてしまうんですよね。悩んだ末、最終的に「子を孕んで産んで一人前」という世間の“メインストリーム”に飲みこまれてしまったのかなと思いました。自分がその“メインストリーム”に居続けるために「孕む」と「産む」を委託し、他人の体の尊厳を見ないことにしてしまっているのかなと。そりゃあ、見ないほうがラクでしょうからね。個人的には、かなり歯がゆさを感じました。夫に子を持たせてこそ完璧な妻……という呪いにかかってしまったみたいだなと。

――長田さんならどんなふうにその呪いを解いてあげますか?

繁殖して一人前、ということではなく、成熟した個人としてお互い話し合ってどうしたいか丁寧に擦り合わせてみたら?、ってことを伝えたいかな。

海外では実際、貧困の渦中にいる人が代理母とされてしまっている現状があるわけですけれど。「ではあなたは、自分が経済的に困窮していない時に、代理母というものを引き受けるといえるか?」って考えてほしいです。はたして引き受けるでしょうか?

でも、子供が欲しいと強く願っている人も確かにいて、一人一人の事情があることを考えると、簡単に善悪で断じるのは難しいなと思います。同性婚で子供を迎えたいというケースもあるでしょう。ただ一方で、ある人の体が富める者のライフプランに利用される、そしてそこに個人の身体や人生への尊重の念が欠けているという可能性に、恐怖を感じます。代理母のイシューだけに限らず、孕む人の権利を透明化して胎児だけを尊ぶようなグロテスクなギャップは、差別や格差、嫌悪がベースになっている気がします。

『燕は戻ってこない』ミレニアル世代が読む意味

――ミレニアル世代にとって、『燕は戻ってこない』はどんな意味のある作品だと思いますか?

いま、日本で生きて行く中で、「自分が選択したんでしょう」とか、「努力しなかったんだから自分の責任」っていうような刷り込みやメッセージが、何重にも何重にも個人に向けて発されている状況があると思います。でもやっぱり自分のせいじゃないということ、「選ばされた」構造が物語の中で誰にでも理解される形で明らかにされていて、そういった点ですごく自分を助ける作品だと思います。

――『燕は戻ってこない』にかぎらず、人生における「小説の役割」について、どのように考えますか?

小説やフィクションは、現実には味わえないものを味わうことができます。作品の中には、現実世界を拡張し凝縮したものが示されていて、読者はそこで現実とは異なる世界を体験しますよね。

言い換えれば、他人のメガネを借りて考える・見る・感じる、ということ。小説を読むことは、想像力とか共感の力を育ててくれる行為だと思います。そしてこうした体験は、読み手の人生を豊かにしてくれるものだと私は思います。

【長田杏奈さんプロフィール】
1977年神奈川県生まれ。ライター。雑誌やwebで美容やフェムケアにまつわる記事、インタビューを手がける。著書に『美容は自尊心の筋トレ』(Pヴァイン)、責任編集に『エトセトラ VOL.3 私の私による私のための身体』(エトセトラブックス)。

(文・山浦 雅香 写真・鎌田 瞳)