社長、性転換、躁鬱、自殺未遂。経験したから「悩める人のためにできること」

都内で複数の女装バーを経営するモカさんは、2016年から無償のお悩み相談を受け付けています。15歳から新宿二丁目で夜遊びをしていた早熟な彼女は、21歳の時に女装イベントを主催し、会社を設立。若くして年収1000万円を稼ぐ経営者になりました。その後、性別適合手術を受けて男性から女性へと性別を変更しました。性別の悩みを克服し会社の経営も順調でしたが、次第に孤独を深め、2015年、29歳の時に飛び降り自殺を図ります。奇跡的に生還したモカさんは、「自分のために生きるより、他の人のために役立つことをしよう」と決意。翌年から始めたお悩み相談で、600人以上の悩みに寄り添ってきました。そして今年、壮絶な半生をつづった『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』(高野真吾氏との共著)を出版。精力的に活動する彼女に、その原動力について話をききました。

みんな、相談できる人がいるなら相談したい

――2016年から、モカさんは個人で悩み相談を受けつけています。死にたい、という深刻な悩みを相談してくる人も少なくないそうですね。

モカ: 私自身、悩んでいた時に専門家のカウンセリングは受けませんでした。カウンセリングは値段が高いし、仕事としてやっている人に話を聞いてもらうことに意味があるとはなかなか思えなくて。だから私は無償でやろうと決めたんです。

――モカさんに多くの人が悩みを相談してくるのはなぜなのでしょう。

モカ: 私は一度自殺未遂を経験しています。そういう経験がある人なら自分の立場を理解し、共感してくれるのではと考える相談者が多いのだと思います。本当にいろいろな内容の悩みを相談されます。みんな悩んでいるんだな、相談できる人がいるならしたいんだな、と感じますね。
ただ、こうした取材を受けるたびにたくさん反響があって。件数が増えて対応が難しくなってきてもいます。

――モカさんはどんな子どもでしたか。

モカ: 小さい頃から哲学的なことを考えることが好きな性格でした。手塚治虫の『火の鳥』や『ブラックジャック』をよく読んでいました。
学校は遅刻ばかりで、勉強も好きじゃなかった。でも美術は好きで、先生からもよくほめられていました。私が早生まれで他の子よりも誕生日が遅かったのもあって、周囲もわたしに寛容に接してくれましたし、母もおおらかでした。だから遅刻や勉強が苦手といったことで劣等感を感じることはなかったです。

――15歳のときに、親に内緒で女性ホルモンの摂取を始めたそうですね。勇気のいる決断だったのではないですか。

モカ: いえ、とにかく必死でした。当時、自分の性に対する違和感がピークに達していて。第二次性徴期で身体が男性化する前に始めなくては、という焦りがありました。同じくらいの年齢の子がやっているのをインターネット上で知り、通販で手に入れた錠剤を飲んでいました。当時は性転換に関する情報はインターネット上にあるだけだったから、自分でいろいろ調べたんです。

――両親にホルモン摂取を打ち明けたときの反応はどうでしたか。

モカ: 最初は受け入れてもらえませんでしたね。でも家族からのそういう反応は、この世代の人はみんな経験しているのではないかと思います。まだ社会でLGBTは認知されていませんでしたから。

――21歳の時に大規模な女装イベント「プロパガンダ」を成功させました。

モカ: 新宿歌舞伎町の「風林会館」のキャバレー跡のフロアを借りて、400人規模のイベントを開きました。
そもそも私は20歳の時にウェブデザイナーとして就職をしたのですが、会社勤めとの相性が悪く、やめました。それで、別の方法で収入を得ようと考えたんです。もともと15歳の頃からネットで知り合った仲間とのオフ会を開いていましたし、知り合いのイベントに顔を出してもいたので、イベント開催のコツは知っていました。
私自身が特に女装に興味があったというわけではありません。それまでいくつかのテーマでイベントを主催してみたのですが、一時の流行で終わってしまうテーマもありました。そのなかで「女装」というのは、ただの流行では終わらないカルチャーなんだという手ごたえがあった。それで何度も開催できて、ビジネスとしても成功しました。

自分ではどうにもならない世界の不条理が耐えがたくて…

――会社の経営も順調で、ご自身の性別変更も達成した。それなのになぜ自殺を図るまで追いつめられてしまったのでしょうか。

モカ: 5年以上、精神的な停滞に悩まされていました。病院での診断は双極性障害でした。本当の原因が何か、というのは難しいのですが、自分自身についての悩みではなく、もっと抽象的な感覚でした。現実世界では、戦争と平和が何度もくり返されている。圧倒的な力の前で自分ひとりの力ではとても抗えないし、変えられない。そういう世界の不条理を耐えがたく感じていました。自分に関する具体的な悩みではないから、どこにも逃げ場がなかったんです。

――自殺未遂から奇跡的に生還されました。現在は後遺症はないのでしょうか。

モカ: 後遺症はないですが、12階から飛び降りて病院に運ばれた後はとても痛かったです。すでに何度か自殺未遂をしていたのですが、もう自分は死ねない、とその時思いました。そこから考え方もいろいろ変わりました。それで人のために役立つことをしようと思い、今に至ります。

「元気だよ」という言葉は本心ではないかもしれない

――精神的に苦しんでいた時期、孤独を感じていましたか。

モカ: ごく親しい人を除いて、周囲の人には悩みを話していませんでした。ひとりで家にこもって考えこんでいた。周りには支えてくれている人もいましたし、引き留めてくれる人もいたのですが、自分の悩みを同じレベルで共感してくれる人を求めていたのです。今になってみると、他者に対して求めるレベルが高すぎたのだろうなと思います。

――当時のモカさんのように悩んでいる人がいる場合、周囲の人はどう接したらいいのでしょうか。

モカ: 悩んでいる人って、言葉ではぎこちなく表現しているんです。言っていることがすべてじゃないし、「元気だよ」っていう言葉は本心じゃないかもしれない。まず相手に関心を持ってほしいんです。話を聞くぐらいなら、みんなできると思います。
そして相手の立場を想像してほしい。相手の体力や感覚は、自分とは違うんですね。どこまでがんばれるかっていうのも、人によって違うんです。
自分の考えを押し付けないで、相手の立場になったつもりで話を聞いてほしいのです。

(後編に続く)

フリーランスライター。元国語教師。本や人をめぐるあれこれを記事にしています。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。