山内マリコさん「常識から外れ、それぞれの幸せを追求する時代へ」

女性の生き方や地方出身者の日常をリアルに描いてきた小説家の山内マリコさん(38)。新著『あたしたちよくやってる』は、年齢、結婚、料理や家事力……「女性はこうあるべき」という有言無言のプレッシャーを抱える女性たちを優しく労ってくれるような短編集。山内さんに、お話をうかがいました。

物語をとおして伝えていきたい女の友情

山内マリコ(以下、山内):私はデビューしてからずっと、「女同士の友情」を意識して小説を書いてきました。今でこそシスターフッドは物語の主要なテーマですが、わたしが2007年に文学賞をいただいた時は、そうではなかった。「女同士の友情を書きたい」と言うと苦笑され、一段低いものと思われているのを感じました。女性作家には恋愛を書いてほしいとはっきり言われたし、そういうものが売れる時代だったんだと思います。

女性には恋愛というテーマだけが与えられてきたせいか、物語の中で女同士が真の友情で結ばれる話はそう多くはなかった。世の中になんとなく、「女同士の友情なんてまがいもの」「男がからめばすぐ壊れる」という認識があって、女性はそういう負のメッセージにさらされてきました。人は物語を追体験することで、「世の中ってこういうものなんだ」と学ぶし、はっきりした教訓でなくても、物語に通底するイデオロギーには影響を受けます。そういう意味で女性は長い間、自分自身を不幸にするような考え方を吸収してしまっていたのではないかと。

――女性同士はドロドロしていたり、陰口を言い合っていたり……みたいなイメージって、まだありますよね。

山内: たとえば「女の敵は女」という言葉が、あたかもことわざのように使われていると、そういうものなんだ~と刷り込まれ、なぞっていたりもすると思うんです。でもそれは、女性にとって有害な考え方以外のなにものでもない。そういう古い概念を新しい物語で上書き消去していくのも、作家の務めなのかなと。

ただ一方で、女の子同士の関係は、たしかに難しい。今、雑誌『CLASSY.』で、まさに女の友情をテーマにした連作短編を連載しているのですが、ふわふわした仲良しこよしの話にはならないんですね。距離が近すぎてぶつかり合ったり、葛藤が深い。大事なのは苦い経験をきちんと描きつつ、それだけで終わらせないこと。痛みを伴った友情が、やがて善きものに昇華するまでを長いスパンで描くことで、女子の友情すごい!ってところまで持っていきたいです。

女性はもっと自分たちを認めていい

――『あたしたちよくやってる』という新著のタイトルは、ふつうに頑張っている女性たちを肯定してくれて、ちょっと光も当ててくれているようなホッとするフレーズです。

山内: 女性って、「私なんてそんなそんな」と謙遜したり、自分を卑下することが「女らしい」振る舞いみたいにされてますよね。堂々と前に出ると「女らしくない」と非難される。そういう女性差別的な文化が浸透しているせいか、自分を認めたり、褒めたり、讃えたりすることに、あんまり慣れていない。はったりでもなく、大仰な言葉でもなく、さり気ない普通の言葉で、まずは女性全員の健闘を称え、祝福したいなと思いました。

――ここ最近、SNSを中心にジェンダーに関する運動が起きて、女性たちは声をあげよう!という動きが強まっているのは、どう思いますか?

山内: すごくいいことだと思います。私は、声をあげるという行為を作品をとおしてやりたいので、SNSでは発散しすぎないようぐっとこらえて、創作ノートにメモしたりしているのですが、これはどうしてもという時はツイートしてます。SNSより、身近な男性に対して、積極的に声をあげていますね。目の前にいる男性に対してまず声をあげるっていうことが、私にとっての#Metooみたいなものかもしれません。

――と、言うと?

山内: 私にとって一番身近にいる男性は夫。10年くらいのつき合いの中で、夫を相手に女性運動を起こしつづけて、かなりの権利を勝ち取りました(笑)。「家事は女がやるもの」といった無意識の差別、私自身にあった「女はこうあるべき」みたいな内圧も、だいぶ解放されて、今はすごく平等だし、対等。目の前にいる大事な存在と向き合って、本音をちゃんと伝えて、議論し、変化を求めることも、立派な戦いだと感じています。

「結婚」「出産」自分の気持ちに正直に

―― 今回収められている短編作品に、街で見かけた着物を粋に着こなす“多嘉子さん”に心酔していく女性を描いた「あこがれ」という作品があります。“多嘉子さん”に、結婚や出産など「当たり前の幸せ」がないことを期待してしまう、という心理に共感しました。

山内: いじましいけど、ある感情ですよね(笑)。あれは私が独身のころ、年上の女性と話していたときのことが元になっています。その人が既婚者だと知らずに、「これからどうやって生きていこう」と不安な気持ちを打ち明けていたら、途中で結婚されていることがわかって、私は内心、「なーんだ」とがっかりしてしまった。独身の自分にしたら、結婚してるってだけでかなり守られた場所にいるから、悩みの深さが全然違うじゃんと思ったんです。

女性が、結婚と出産をマストでする時代ではもうないんだけど、聞こえてくる声の大多数は、「妻として」「母として」だったりする。女性の生き方が多様化してるからこそ、自分の属性とマッチしたロールモデルが欲しいというのはありますね。私の場合、結婚というか、パートナー的な人は欲しかったので、すごく必死に探して(笑)、なんとか相手は見つかった。だけど子どもに関しては、めちゃくちゃ欲しいという感じもなくて。子供を持つのは普通のことだから、という世間の当たり前に迎合しなくてもいいかなぁと。

時にはヘラヘラと笑ってごまかしたっていい

――それでもやっぱり、世間からのプレッシャーを感じたり、不安になることってあると思います。どう乗り越えていけばいいのでしょうか。

山内: 私がよくやる戦法は、ヘラヘラ笑いでごまかして、あとで夫や友達に愚痴ったりぼやいたりすることかな(笑)。あとは、「優雅な生活が最高の復讐である」という題名の本があるのですが、誰かを傷つけるのではなく、もっとスマートなやり方として、これに勝るスタンスはないのではないかと思います。

優雅な生活って、別にお金持ちになるってことではなくて、自分が思う幸せを追求して、誰かと比較することなく、満足を得るってことですよね。自分を幸せな状態にできていたら、外野の声なんてどうでもよくなるから。多様性ってつまり、それぞれが、それぞれの幸せを追求しようってことでもある。「普通」から外れる人を「変だ」と後ろ指さすのが平成までだとしたら、これからは、常識から外れて生きてる変な人を見たら、「いいぞいいぞ」と喝采を送った方がいいですね。回り回ってその自由さは、自分を救うはずですから。

【取材後記】
男性と真っ向から戦う短編やエッセイは本作の中にはない。ただ、日常で女性が抱く違和感やモヤモヤからどのように解放され、生きていくことができるか、道筋を示してくれます。
本作に収められた、母校の先生から頼まれて在校生に送ったエッセイにはこう綴られています。

「若さは重荷です。でも、年を取るたびにその重荷は少しずつ減って、そのうち身軽になれるのでもうしばらくがんばってください!」(同著書「高校の先生に頼まれて書いた、後輩たちへのメッセージ」編より)

常識と外れて変な人生を生きるということはもしかすると、軽やかに生きるということなのかもしれません。

『あたしたちよくやってる』

著:山内マリコ

発行:幻冬舎

大学卒業後、芸能事務所のマネージャーとして俳優・アイドル・漫画家や作家などのマネージメントを行う。その後、未経験からフリーライターの道へ。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。