日清食品チルド勤務・永田梨紗さん(30歳)

すべて思い通りになんていかないけど、どの部署のどの仕事にも意味がある。

日清食品チルド勤務・永田梨紗さん(30歳) 「学生時代は、フィリピンで働きたいと思っていました」と話すのは、大手食品メーカー・日清食品チルドに勤務する永田梨紗さん。上海での勤務を経て、現在は営業の最前線で働く「バリキャリ」ウーマンです。「いつか社会貢献をしたい」という思いを胸に日々奔走する彼女は、どんな結婚観や人生プランを持っているのか。お話をうかがいました。

出身は名古屋です。私が育った地域はフィリピン出身の方が多くて、小学生のころから周りにフィリピン人の友達がたくさんいました。その影響もあって、大学は大阪大学外国語学部のフィリピン語学科を選びました。卒業後、交換留学生としてフィリピンに留学して、当時はそのままフィリピンで働きたいと思っていました。

日本で、フィリピン人の友人たちとラーメンを食べる

「フィリピンで働くつもりが、地元名古屋で営業職に」

でも、思わぬ展開があったんです。2011年3月、留学先のフィリピンにいた時に、日本で東日本大震災が起きたことをニュースで知りました。ちょうど、周囲が一斉に就活を始める時期で、私は大学院に進もうかどうしようか迷っていたのですが、「何もできないけれど、働いて税金を収めて、社会人としての役割を果たそう」と思って、就職活動を始めることにしたんです。

就活サイトでフィリピンと関係がある企業を検索すると、日清食品が上位に上がってきました。現地の食品メーカーと合弁企業をつくって、インスタントラーメンの生産ではトップ企業になっていたんですね。世界中の災害被災地にカップヌードルを送って社会貢献をしているところにも魅力を感じました。

入社後は、日清食品で地元名古屋の営業所に営業職として配属されました。「名古屋は厳しい」という噂は聞いていたのですが、7年前の当時は働き方改革なんてなかったので、休日に仕事をしたり、終電がなくなるまで働いたりすることもたびたびありました。

でも、周りの先輩に飲み会の席で相談することもできましたし、本気で辞めたいとは思わなかった。超楽観的だからかもしれないですね。

「いつか社会貢献したいけど、気長に頑張ろう」

仕事を辞めようとは思いませんでしたが、「フィリピンと関係のある仕事をしたい」と、ずっと思っていました。でも、両親に相談すると「無駄な仕事なんて何もない」と言われたんです。

「絶対にこれしかない」と決めてしまうと、思うようにいかなくなった時に悩んでしまう。最近入社してくる世代は、入社後1、2年で「これは私がやりたいことじゃない」と言って辞めてしまうことがあります。でも、「これしかない!」と焦点を絞りすぎてしまうと、本当は3、4年後に実現できるかもしれなかったことの可能性も潰してしまう。それではもったいないですよね。

両親には、「人生、大差なし」とも言われていて、たとえば1本電車に乗り遅れたって、人生に大きな影響はない。私は、「どこの部署でどんな仕事をしても意味がある」という考え方で、焦らず気長に頑張ろうかなと思っています。プライベートではフィリピン人の友人と交流していますし。

日清食品ホールディングスは国連WFP(世界食糧機構)に寄付金を出すなど、社会貢献にも力を入れている会社です。私も地道に頑張って出世して、発言できるようになった時に、社会貢献に関わる仕事に携わってみたいですね。

「上海で人事部を経験後、再び日本で営業職に」

海外勤務も経験しました。名古屋で4年間インスタントラーメンの営業をした後、トレーニーという研修制度を利用して上海に行き、1年間、人事部で採用業務を担当したんです。

営業の時はこちらが売り込みに行く立場でしたが、人事部には人材関係の会社の方が売り込みに来る。これまでと立場が逆でした。すると、「メールの返信がすぐにくると気持ちいいんだな」とか、「DMにも手書きで一言添えられていると嬉しいんだな」などと、気づくことができた。この経験が、後に帰国してから役立ちました。

1年経って帰国した後、チルド食品を扱う日清食品チルドに出向となり、営業を任されています。商品力も影響しますが、最終的に営業は人と人の付き合い。「日清食品のセールスはいいな」と思っていただけるよう心がけています。

あるスーパーで、試食販売のマネキンを自らかって出たのですが、バイヤーの方が「全店に商品を入れよう」と言ってくださって、嬉しかったですね。日清の社員は、誰よりも上手に調理できるんですよ!レシピ通りの加熱時間やお湯の量にするだけで、味がガラッと変わるんです。

「自分の生き方を決めつけない」

仕事は楽しいのですが、子供が欲しいので結婚はしたいと思っています。仕事は能力次第で50歳からでも60歳からでも遅すぎるということはないと思うんですが、子どもは、いつでも産めるわけではないでしょう。

育児休暇やカムバック制度はありますが、どのように使っていくかは、その時になってから考えればいいと思っています。「絶対にキャリア優先」とか「早く仕事を辞めて専業主婦になりたい」とか、決めつけなくていい。異動で環境が変わると、恋愛観や結婚観も変わってくると思うんです。

たとえば、フィリピンに留学していた時のホームステイ先は、奥様が大学教授で、ご主人が家で仕事をしていたので、ご主人がよく料理をしていました。奥様の帰りが遅くなることもたびたびありましたし。フィリピン人は基本的に、女性が働きものなので、男性が家にずっといるパターンもめずらしくありません。

中国でも、同じ事務所の女性のうち8割は結婚していて、子供がいても仕事を続けている人ばかりでした。中国の場合、一人っ子政策の影響で親世代(50代前後)に余力があるので、子供を親に預けやすいという社会的背景もあります。

私は外国語学部出身なので、国際結婚をしている友人も何人かいるのですが、みんなそれぞれ価値観が違っていて、ときには驚かされることも多いです。でも、最終的には「みんな違ってみんな良い」と思っています。

「難しいことを分かりやすく」伝えるをモットーに医療から気軽に行けるグルメ、美容、ライフスタイルまで幅広く執筆。医学ジャーナリスト協会会員