RuruRuriko「ピンク」

タトゥーからみる日本の常識 RuruRuriko「ピンク」

ちょっとモヤモヤした気持ちになったとき、読んでみてください。いい意味で、心がザワザワするフォト&エッセイ。今回は、タレントのりゅうちぇるさんが入れたタトゥーを巡って思ったことを書いてくれました。

●Ruru Ruriko「ピンク」12

先日、タレントのりゅうちぇるさんが入れたタトゥーを巡っての話題についてお話ししたいと思います。私自身、タトゥーを3つ入れています。なんで入れたのか? 素敵だと思ったからです。いわゆるファッションタトゥーってやつでしょうか? 自分ではよくわかりませんが、とにかく政治的な意味があるとか、想いをこめているというよりは純粋に見た目が好きで、自分の身体にあるのが最強に可愛いと思ったからです。

私は昔からタトゥーに憧れていました。初めて見たのがいつかは覚えていないけど、小学校のときに映画などでタトゥーが入った女性をみてすごくかっこいい! 自分もいつか絶対に入れたい! と思った記憶があります。もちろん、日本ではあまり良いイメージがないことは子どもながらに感じましたが、それでも私にはかっこいいものとしてのイメージがずっと強かったです。

「日本常識ではタトゥーは受け入れらない」?

ネット上のコメントではりゅうちぇるさんに対して「親、子どもがかわいそう」「日本常識ではタトゥーは受け入れらない」「がっかりした」などの批判コメントが多くびっくりしてしまいました。私のインスタグラムでも少し書きましたが、私はこの”日本の常識・社会では〜”という意見を聞くたびにいつも違和感を感じてしまいます。”日本の常識”の定義ってなんなのでしょうか?

私は日本で生まれ育ち、親も日本人で国籍も日本人なのです。そんなとても日本人な私が思う私の日本では、タトゥーを批判されたことはありませんし、周りに入れている人は多いし、褒められることの方が多いです。でももちろん、これは私が生きている日本コミュニティの中でだということは自覚しています。

例えば、私の常識は私の祖母の常識とは違いますし、私の友人とだって違うときがあります。そしたらどっちが正しいんだろう? むしろどっちが正しいとかあるのかな? 最近読んだ本(『いれずみの文化誌』著・小野友道)によれば、沖縄では昔、女性が手の甲に刺青をする「ハヅキ」という文化があり、それは大人になる通過儀礼で女性たちの憧れだったそうです。しかし、政府の風俗改良政策のもとその風習は消えていった、とありました。

私は民俗学に興味があって、関連の本を趣味程度に読んでいるのですが、歴史を知ると日本の伝統や昔からの考えだと思っていたものが意外と新しい考え方だったり、政府の政策で考えが変わったり、欧米の影響だったりということが結構あります。そしてそこから日本という国の定義とは? 常識とは? と考えさせられます。

彼の体は彼のもの

そういった現代の日本の”常識”を完全に無視していいと思っているわけではありません。相手を尊敬する敬意を示す際にその常識に従うことは私もあります。ただ「それが”常識”だから」「”みんな”がそう言っているから」という言葉だけで片付けてしまうのは危険なのではないでしょうか? 特に今の若い世代には、今後もどんどん海外の考えや文化が入ってくると思います。その中で、今までの常識は変わっていくでしょうし、現に常識は人によって違います。だからこそ、個人個人が自分できちんと考えて、選択していかなければいけないと思います。

あなたの常識で他人を判断してしまうにはしょうがないですが、それを相手に押し付けるのは違います。りゅうちぇるさんは芸能人ですが、彼の身体は彼のものでそれは彼の選択で、彼の問題です。私の身体も私のもので、私にはその権利があります。私は自分のタトゥーが入った身体が好きだし、自分のタトゥーをみると入れたときの思い出が蘇ってきていつも嬉しい気持ちになります。

最後に、日本ではよく刺青・タトゥーはヤクザと関連付けられるからダメと言われます。私のタトゥーは服を着て入れば基本見えませんが、見えた途端私がヤクザに見えますか?

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18歳の時にイギリスへ留学、4年半過ごす。大学時代にファッション、ファインアート、写真を学ぶ中でフェミニズムと出会い、日常で気になった、女の子として生きることなどの疑問についてSNSで書くようになる。