広告特集 企画・制作 朝日新聞社メディア事業本部

養親になりたい方へ

制度利用に向けて調べている 
でもこんなお悩み、ないですか?
どんな親になればいいのだろうか?

共有してきた多くの思い出が支えに
宮津航一さんと家族の絆が教えてくれること

宮津航一さん、宮津美光さん、宮津みどりさん

宮津航一さんは3歳のとき、熊本県の慈恵病院が設置する、親が育てられない子を匿名で預かる「こうのとりのゆりかご」に託されました。その後、里親登録をしていた宮津美光(よしみつ)さん、みどりさん夫婦とその家族のもとに迎えられ、高校2年生の時に普通養子縁組をしました。

本サイトに訪れる皆さんの中には、特別養子縁組に関心を持ちながらも、「どんな親になれるだろうか」「こどもが自分たちを受け入れてくれるだろうか」といった心配から、二の足を踏んでいる方もいるかもしれません。養子当事者の航一さんとご両親の美光さん、みどりさんに話を聞き、家族とは何か、親としてできることとは何か、考えました。

特別養子縁組:実親(生みの親)との法的な親子関係が解消され、戸籍の表記は実の親子とほとんど変わりません。
普通養子縁組:実親(生みの親)との法的な親子関係は残り、戸籍上に生みの親の名前も併記され、実親と養子の間で法律上の関係が残ります。

宮津航一さんの単独インタビューもこちらからご覧いただけます>>

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「3歳の子なんてかわいいに違いない」 迎え入れが決まった日

熊本空港からほど近く、のどかな田園風景が広がる自然豊かな場所に「宮津ファミリーホーム(※)」はあります。さまざまな事情から実家庭で暮らせない6人のこどもたちを迎え入れて共同生活を送る家の中は、思い出の写真やこどもたちの作品などが並べられ、温かい雰囲気に満ちています。

航一さんが宮津家と出会う以前、美光さんとみどりさんは実子である5人の息子たちを育てながら、夫婦でお好み焼き店を営んでいました。美光さんは地域のこどもの自立支援ボランティアを長く続けており、お店にはさまざまな境遇のこどもたちが訪れていたそうです。

「ある日中学生くらいの少年たちがお店に来て、色々と話を聞いていると、そのうちの1人が訳あって自宅に帰れず、ホームレスだったことが分かったんです。それならうちにおいで、ということで、彼が成人するまで4年間、我が家で生活していました」(みどりさん)

お店は児童相談所の近所にあり、こどもたちの支援をしていることを知った職員から専門里親の研修で講演を頼まれたことを機に、里親にならないかと声をかけられたといいます。「そういった制度があるなら、もっと支援を広げられる」という思いで、夫婦は2007年春に里親登録をし、その年の秋、初めてのこどもを迎えることになりました。

「非行とか色んな問題を抱えている中高生のボランティアをやっていたので、そういうこどもを支援できるように頼んでいたら、児童相談所から『3歳の子でもいいか』って電話がかかってきて」(美光さん)

初めは受け入れを迷った美光さんですが、みどりさんとおばあちゃんに相談したところ、「3歳の子なんてかわいいに違いない」と2人の意見が一致し、迎え入れが決定したそうです。

「当時五男は高校生で、そんなに小さい子は久しぶりなのでとてもウキウキして。どんな子なんだろうって楽しみに待っていました」(みどりさん)

※ファミリーホームとは、里親家庭を大きくした事業。里親や乳児院・児童養護施設職員経験者の自宅等で補助者も雇い、より多くのこどもを養育する。

みんなでたくさんの思い出を共有し、やがて家族に

初めて会った航一さんは人見知りもせず、とても強い子だったそうです。

「面会に行ったときに最初の抱っこをしたんだけど、泣きもしないしすぐ馴染んでね。今もそうだけど昔から髪がくるくるしてて、かわいいな、天使みたいだなって思いました」(美光さん)

ボランティアの関係で以前から色んな子が来ては泊まっていたこともあり、5人のこどもたちもあたり前のように航一さんを迎え入れたそうです。「五男は弟が欲しいってずっと言ってたから、すごく喜んでいました」(みどりさん)

アウトドア好きの美光さんが計画して魚釣りに出かけたり、年に一度“家族の絆づくり旅行”と称して色々な所に出かけたり。航一さんは家族みんなで思い出を共有していくうちに、自然と宮津家が自分の居場所になっていったといいます。

「来た当時のことはあまり覚えていないですけど、アルバムに家族と映っている写真がたくさんあって、それを見ると自分も可愛がられてきたなあと思ったりしますね。両親がお店で忙しいときは、兄が近くのお店に買い物に連れて行ってくれたりして、本当によく面倒を見てくれました。いつの間にか単なる居場所じゃなく、心の居場所にもなっていったと思います」

包み隠さず真実を伝えてくれたから、乗り越えられた

こども自身に出自を伝える「真実告知」。航一さんの場合はどうだったのでしょうか。

「4歳のとき、テレビで『こうのとりのゆりかご』がニュースで取り上げられているのを見て、扉に描かれている絵を航一が覚えていたんですよ。『僕、ここに入ったことがある』って。児童相談所の人に相談したら『親子関係が親密になればなるほど噓をついたら見抜かれるから、ちゃんと伝えたほうがいい』と言われ、僕らもそっちのほうが楽だと思ったんです。それ以来、新聞やテレビでゆりかごが出たら、ほら映ったぞって教えたり、新聞の切り抜きを取っておいたりしてね。ゆりかごに預けられたこと以外、そのときは何も分からなかったから、それが真実告知だったんです」(美光さん)

ただし伝え方には気をつけていた、とみどりさんは振り返ります。

「この子の中に生い立ちが暗いイメージとして残らないように、『病院の先生に命を救ってもらってよかったね、こうして会えてよかったね』って前向きな言葉とか接し方をするように心がけていましたね」

美光さん、みどりさんが包み隠さずに生い立ちを話してくれたことは、航一さんにとっても救いになったそうです。

「両親は年齢に応じて、その場その場で僕に対して話をしてくれました。小学校の生い立ちを振り返る授業で自分の写真がなかったり、実母が私を産んですぐに亡くなっていたことが分かったりしたときも、乗り越えられたのは、事前に真実告知をしてくれていたからだと思っています」

どのような過去でも、こどもにとって真実を知ること、自分のルーツを知ることはとても大事だと航一さんはいいます。

「成長の記録や実親の存在は、その子にとっては大切なもの。伝えたあとにそれをどう捉えてどう考えるかはその子自身の問題なので、まずは隠さずに伝えることが大事なのかなと思います。そして先ほど母が言ったように、こどもが肯定的に自分の生い立ちを捉えられるような方法で、養親さんには伝えてもらいたいなと思っています」

こどもを守る立場として、何かあれば夫婦で話し合って解決してきた

こどもが成長する過程で、多感な時期に反抗をしたり、コミュニケーションを取りづらくなったりすることは珍しいことではありませんが、航一さんの場合、そういったこともありませんでした。「航一は全く反抗期がなかった、今まで感じたことはありません。でもこれから心配です」と、美光さんはいたずらっぽく笑いながら答えます。

5人の兄弟たちも、これは反抗期だなという時期があった子、ないなと思っていたら1日だけあった子、とまちまちだったそうです。

「反抗とかはなかったんですけど、ファミリーホームにはいろんな年齢のいろんなこどもがいたので、その中でけっこう揉まれていましたね(笑)。最初の頃は、次に来た子にちょっと嫉妬したりすることもありましたけどね」と、みどりさんは懐かしそうに微笑みます。

「養子縁組する前に反抗期とかの心配をする人も多いと思うんですけど」と、みどりさんは前置きしつつ、「小さいときから毎日その子の成長を見るわけじゃないですか。そうすると思い出のアルバムもいっぱい溜まっていくし、一緒に色んなことを乗り越えながら成長してきた歴史があるから、ちょっと意見が合わなかったり喧嘩したりしても、そんなに心配しなくて大丈夫」と話します。

小学校や中学校に通う中で、里親家庭を理由につらい扱いを受けたりすることもありましたが、その都度夫婦で話し合い、時にはトラブルに発展した子の家や学校に意見をすることもあったそうです。

「私たちもやっぱりこどもを守る立場だし、それなりに言うべきことは言わないと、と思っていました」(みどりさん)

そんな父と母を見て、航一さんは“家族”を実感したといいます。「昔、父が『家族は血のつながりじゃなくて、最後まで味方でいる人のことを言うんだ』って教えてくれたんですけど、自分の代わりに戦ってくれる2人の姿を見て、あの言葉を体現してくれているな、これが家族なんだなあと思っていましたね」

血のつながりがなくても親子関係は築ける

高校2年生のときに普通養子縁組をした航一さん。それは以前から家族の共通認識だったそうです。

「私たちも親代わりと思ってやってきましたし、航一が小学校のときに描いた家系図に『六男・航一』と書いてあったので、この子もそういう気持ちなんだって分かりました。いずれ社会に出るときにはと思っていましたけど、主人の病気で少し早まったんです」(みどりさん)

「僕が脳梗塞になったので、このまま意識がなくなったらどうしようって。『航一を絶対養子縁組せにゃいかん』ということが頭をよぎったので、病院から帰ってきたらすぐに養子縁組に向けた準備を整えはじめました」(美光さん)

それまでの家族との関係性に変化があったわけではないですが、胸を張って“家族”と言えるようになったのは、航一さんにとってうれしい出来事でした。

どんな両親ですか、と尋ねると、航一さんは照れくさそうに話してくれました。

「2人に挟まれてなかなか言いにくいですが(笑)、普段から本当にお父さんお母さんとして接していますし、周りの方たちからも『お父さんとお母さん、いい人だね』と言ってもらえるので、誇りに思います。特段何か思うことはないんですが、僕だけじゃなくて色んなこどもたちに手を差し伸べたり世話をしたりする両親を見て、一つの模範というか、自分もこうなっていきたいと思っています」(航一さん)

そんな航一さんの言葉に対し、美光さんは僕らだけじゃなく地域に育ててもらった、といいます。

「真実告知なしには、地域で育ててもらえないと思ってますね。全部の人に言うことはないけど、近い人には生い立ちや事情を知ってもらって、受け入れてもらう。地域の行事やボランティアなんかにも参加してね。そうすればこの子の環境も広がるでしょう。1人の子が大人になるまでには色んな人と知り合うことが必要で、その何人かを作るのは親。僕らが仲介せにゃいかん、と思うんです」

航一さんは高校卒業を機に自分の生い立ちを公表し、現在は大学に通う傍ら、様々な活動をおこなっています。航一さんが代表となり月に2回開催している「ふるさと元気子ども食堂」には、保護者やボランティアを含む150人ほどが参加するそうです。2023年秋には、ゆりかご開設に携わった慈恵病院の元看護部長・田尻由貴子さんと共同で「子ども大学くまもと」を設立。小学生を対象に、専門家を招いて命の大切さや性について学ぶ講義を開催予定です。さらには、ファミリーホームや里親家庭出身の当事者として、制度の普及のための講演活動も積極的におこなっています。

「私の場合は普通養子縁組ですが、特別養子縁組でも里親、ファミリーホームでも、こどもにとって“お父さん、お母さん”と呼べる存在は必要です。人生の色々な山を乗り越えていくときに、その子に親身になり寄り添って一緒に考えてくれる大人、家族の存在は大切だと思います。

そしてその子が自立をして社会に出た後も、帰って来られる故郷や家族もやはり必要だと思っています。特別養子縁組制度が広がって、ひとりでも多くのこどもたちが幸せな家庭に迎えられれば、これ以上幸せなことはないですね。そういう思いのある養親さんに、こどもさんたちが恵まれることを期待しています」(航一さん)

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PROFILE
宮津 航一(みやつ・こういち)/2003年生まれ。「ふるさと元気子ども食堂」代表、「子ども大学くまもと」理事長。慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に預けられ、里親である宮津美光さん、みどりさん夫妻のもとで育つ。
PROFILE
宮津 美光(みやつ・よしみつ)/宮津航一さんの養父。熊本県ファミリーホーム協議会副会長、熊本東地区少年警察ボランティア連絡協議会会長。2007年に養育里親に登録し、2011年にみどりさんと共に「宮津ファミリーホーム」を開設。これまで30人超の委託児童を迎え入れる。
PROFILE
宮津 みどり(みやつ・みどり)/宮津航一さんの養母。2007年に養育里親に登録し、2011年、美光さんと共に「宮津ファミリーホーム」を開設。これまで30人超の委託児童を迎え入れる。
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