Dr.尾池の奇妙な考察 28

【Dr.尾池の奇妙な考察 28】性的同意パラドックス

化粧品の開発で、それまで縁のなかった「女性の美」について考えるようになった、工学博士であり生粋の理系男子である“尾池博士”。性的同意書という気持ち悪い提案についての考察です。そこに潜むパラドックスが教えてくれることとは。

●Dr.尾池の奇妙な考察 28

笑うしかない性的同意書

MeTooに端を発する女性の戦いは、2019年12月の伊藤詩織氏の民事裁判勝訴によってさらに勢いを増したかに見えます。

しかしそれでもなお、日本社会の受け止め方は弱々しく、社会問題というよりも個別案件に近いものです。その最たるものが次の提案ではないでしょうか。

「トラブルを防ぐための性的同意書があればいい。」

これはもう、文化人類学の貴重な資料と言えるのではないでしょうか。人間の社会的思いやりはここまで堕ちることができるという実例として。

しかもこれを良いアイデアと受けとめる声も実際にあり、同意書のフォーマットまでアップされているのだから驚きます。

もし二人の男女が性的同意書を前にして「(男性)君のために作ったんだ。ここにサインするだけでいい。」「(女性)は?バカにしてんの?」というやり取りをしているところにたまたま通りかかったら、私は書名をこう書き換えると思います。

「セクハラ同意書」

明らかに性的嫌がらせだし、上から目線のパワハラでもあるし、思いやりを偽装したモラハラでもある。

とはいえ、性的同意書のバカバカしさは分かりきったことだし、私の架空の武勇伝と同じくらいどうでもいい話なので、一通りこき下ろした後で清々するかと思ったのですが、なぜか性的同意書という言葉にはまだ妙に横腹をくすぐる何かが感じられます。失笑した後に、いやまてよ、それだけじゃない、とまだ何か問いかけてきます。

そして見えてきたのは、性的同意パラドックスとも言えるものでした。

性的同意パラドックス

パラドックス(背理)とは、正しそうな前提と正しそうな推論によって、一見受け入れがたい結論が得られてしまうことです。

たとえば有名なものに「アキレスと亀」というものがあります。アキレスは俊足で知られたギリシャ神話の英雄です。

まず正しそうな前提です。アキレスはある日亀と徒競走をすることにしました。アキレスの方が速いのは明らかなので亀はハンデをもらって前からスタートすることにしました。しかしアキレスは亀にすぐ追いつけると思いました。

つぎに正しそうな推論です。アキレスが亀を追い抜くにはその前に亀と自分の間の中間点を通らなければなりません。しかしアキレスがその中間点に到着した時、亀は少し前に進んでいるので、アキレスとの間にまた新たな中間点が生じます。アキレスがその中間点に到着した時、亀はまた少し前に進んでいるので、アキレスとの間にはまた新たな中間点が生じます。

その結果アキレスは永遠に亀を追い抜くことはできないという結論が得られます。

この紀元前から議論されてきたパラドックスは、もちろん数学的に不十分です。アキレスと亀が一定速度なら、中間点までの距離の合計(積算値)はある数に収束するからです。しかし現代でもなお、このパラドックスには妙に納得させられ、正しそうな前提と推論から間違った結論が得られる違和感を楽しむことができます。

性的同意書にもこのパラドックス的要素が垣間見えます。ただし、性的同意書を必要と考えている男性にとってのパラドックスです。
アキレスと亀の中間点がちょうど男性と女性の性的同意書にあたります。

まず正しそうな前提です。男性はある日女性と性交をすることにしました。男性が信頼できる人間か明らかでないので女性は安全をみて距離を置くことにしました。しかし男性は性的同意書を準備すれば女性にすぐ近づけると思いました。

つぎに正しそうな推論です。その男性が女性に近づくにはその前に性的同意書を出さなければなりません。しかし男性がいきなり性的同意書を出すと女性がその気を無くすかもしれないので、性的同意書の前にそれを出してよいかの同意書を出さなければなりません。しかしその同意書をいきなり出すと女性がその気を無くすかもしれないので、それを出してよいかの同意書を出さなければなりません。

その結果男性は永遠に性交できないという結論が得られます。

性的同意書を必要と考えている男性はこう言うでしょう。「いやいやいや、そんなはずはない。性的同意書を使わなければ安心して性交できないはずなんだ。そもそも同意は1回でいいはず。このパラドックスは間違っている!」

同意書を持って走る尾池ロボ

パラドックスが教えてくれること

パラドックスがなぜ奇妙な結論になってしまうのか考えることで、意外な新たな知見を得られることをアリストテレスらは知っていました。設問の中でも特別な設問として大事にされました。

パラドックスは結論が間違っていることもあれば、前提や推論が間違っていることもあります。

性的同意パラドックスの場合、まず前提は明らかに間違っています。

性的同意書を必要としている男性は、性的同意書によって女性との距離が縮まると考えていますが、女性側は必ずしもそうは思っていません。前提は簡単に崩れます。

そして逆に結論は正しいです。性的同意書で性交後の訴訟を避けようとするような男性が性交できないことは容易に想像できます。

となると問題は推論の方です。

同意書が永遠に繰り返される冗談のような推論は間違っているのでしょうか。

私はこの一見奇妙な推論はおそらく正しいと思います。

なぜなら、間違った前提を正しい結論に修正したと考えるからです。

つまりこのパラドックスが導くのは、性的同意は多段でなければならないという事実です。本来必要でない性的同意書を必要だと思い込んでいた男性は、同意書は一枚でいいと考えていることにおいても間違っていたわけです。

さらにこの推論は同意と時間が反比例関係にあることも明示しています。同意は急げば急ぐほど難しくなり、逆に時間をかければかけるほど容易になる。

必要性、多段構造、時間との関係性と、幾重にも間違っている。

性的同意書を気持ち悪く感じるわけです。

私たちは出会い、同じ時間を過ごし、徐々に近づき、デートに誘い、告白し、手をつなぐことさえ、何度も確認しあい、同意しあっている。それは同意書どころか、言葉にさえならない無形の同意を何度もしている。

推論が教えてくれる通り、その同意は永遠に続く。同意の積み重ねこそが恋愛とも言える。一枚の同意書だけで性交しようと考えることは、恋愛自体が分かっていない証明になる。

しかし同時に、パラドックスから学ぶことのできる男性には可能性が開けるということでもある。それを性的同意パラドックスは教えてくれる。

まさに、新しい時代の幕開けにふさわしいパラドックスと言えます。アリストテレスはあまりの低レベルさに目を覆うだろうけど。

今回のまとめ

性的同意書という気持ちが悪いアイデア。その下劣さはともかく、そこに見えてくるのは性的同意書を必要とする男性が無自覚に陥るパラドックス(背理)。パラドックスとは、正しそうな前提や推論で奇妙な結論が得られてしまうこと。性的同意パラドックスが教えてくれるのは、性的同意書を必要とする男性の多重の思い違い。性的同意は二人で何重にも繰り返すべきこと。それをまるでたった一枚の一回の同意書で性交ができるかもしれないと考えることは、恋愛自体が分かっていない証明になる。しかし逆に言えば、このパラドックスから学ぶことのできる男性には可能性が開けるということでもある。

<尾池博士の所感>石器時代以降、知能が下降の一途を辿っているという説は本当かも。

工学博士/1972年生まれ。九州工業大学卒。FILTOM研究所長。FLOWRATE代表。2007年、ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞受賞。2009年、PD膜分離技術開発に参画。2014年、北九州学術研究都市にてFILTOM設立。2018年、常温常圧海水淡水化技術開発のためFLOWRATE.org設立。
イラストレーター・エディター。新潟県生まれ。緩いイラストと「プロの初心者」をモットーに記事を書くライターも。情緒的でありつつ詳細な旅ブログが口コミで広がり、カナダ観光局オーロラ王国ブロガー観光大使、チェコ親善アンバサダー2018を務める。神社検定3級、日本酒ナビゲーター、日本旅のペンクラブ会員。
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