telling Diary ―私たちの心の中。

「正義」ばかりじゃ息が詰まる―telling, Diary

telling,世代のライター、クリエイターたちが綴る、日のできごとから感じたことや、心の隅にずっと持ってた小さな本音・・・。「telling, Diary」として、“あなただけに、言うね”。今回は、エディター&ライターの鈴木梢さんのダイアリーです。

●telling, Diary ―私たちの心の中。

 テレビのニュースやインターネットを見ていると、「正義」というものがわからなくなってくる。
 近ごろは自らの「正義」を人に振りかざす場面を目にすることが多くて、芸能人が騒動を起こしたり、インターネットで誰かが炎上したりすれば、当事者でない人が代弁者の顔をして強い言葉を使う。

 誰かにとってきれいなものは、誰かにとっての汚いものにもなる。

 少数派の気持ちに寄り添うとか、誰かの代弁者になるとか、それが当事者にとっても救いになったり、納得できるものならば素晴らしいと思う。それを否定するわけじゃない。

 ただ、とにかく自分に関係ない「正義」と相対してしまうことが多いのだ。それは実はとても疲れる。
 正しそうな言葉は、一見きれいに見えるから、「嫌だと思ってしまう自分はよくない」と思う人もいるかもしれない。私はそうだ。

 そんなことはない。

 すべての人にとっての正義なんてなくて、人の正義に賛同しないといけないわけでもなくて、人には人の正義がある。
 みんなが「きれいだ」ともてはやすことに同意できなくても、あなたに何も否はないし、自分の正義――自分の信念、がないことのほうがしんどいかもしれない。
 もちろん、この意見だってあなたの正義に反すれば、聞かなくていい。それが自分に対して向けられた「正義」だったらなおさらだ。

 私は昔、このことを、大切な人たちから教えてもらった。
 私は昔から人一倍、人の意見で迷ってしまいやすくて、今でもその傾向は強い。誰かに正義を振りかざされたら、自分も同調すべきもののように見えてしまう。

 そういう人って、実は多いのではないだろうか。

 私の大切な人たちは言った。「人から意見を言われたり批判をされたりして、たとえそれが正論でも、無理して受け入れる必要はない。でも、受け入れたほうが良くなりそうだと思うなら、素直に、真摯に受け止めて、糧にしていけばいい」と。

 当然のことを言っているだけと感じる人もいるかもしれないが、当時、私は自分に対して、他の人から向けられる意見や批判に、へとへとに疲れていて、その言葉はすごく響いた。
 で、そういう人もたぶん多いと思う。ある意味他人事の、他人の正義を、まず一旦、どう受け止めたらいいのかがわかりづらい。それが自分に対して向けられたら、さらにわからなくなる。

 誰かにとっての正義は自分にとっての正義ではないのだから、結局そういうものなのだと思う。だから私は今日も自分を信じて、生きる。

1989年、千葉県市川市生まれ。新卒でスマホアプリやSNSを活用する企画職として働いたのち、2013年夏頃からフリーライターとして活動。現在は、株式会社プレスラボに編集者/ライターとして所属。
東京生まれ東京育ち。羊毛フェルトを使ったイラスト、愛猫ゾロとダルタニヤンをモチーフとしたぞろだるシリーズなどに明け暮れる。oekaki creatorである。