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イベント情報

【2021年度シンポジウム第1部採録】
久保田智子さんが語る
~「私が母です」と言えるようになるまで~

さまざまな事情により、産みの親の元では暮らせないこどもたち。そうしたこどもたちを自分のこどもとして迎え入れる特別養子縁組制度について、理解を深めたい方々に向けた「家族を育む こどもを育てたいと思う人へ 特別養子縁組制度オンラインシンポジウム」が2022年2月5日、開催されました。
第1部では、TBS元アナウンサーで現在は報道記者として活躍されている久保田智子さんが登壇。2019年にお子さんを迎える「決意」に至った背景から、迎えるまでの過程、お子さんに対する思いを話していただきました。

<登壇者>
久保田智子さん(養親/TBS報道局記者、元アナウンサー)

<ファシリテーター>
柏木友紀(朝日新聞社)

【STEP①決意】産めなくても育てたい――。特別養子縁組を決めた思い

特別養子縁組制度には、さまざまな事情により生みの親のもとを離れることになったこどもを、自分のこどもとして迎え法的な親子関係を結ぶため、こどもが生涯にわたり安定した家庭生活を送ることができる、という特徴があります。
制度を利用しこどもとの暮らしを始めるまでのステップを「決意」から「登録」、「迎える」そして「家族になって」という4つの視点に分け、久保田さんの考えを伺いました。

久保田さんが特別養子縁組制度を「自分事」の選択肢として考え始めたきっかけは、20代のころ、キャスターとして担当していたTBSの番組「報道特集」で、特別養子縁組制度で結ばれた家族の密着ドキュメンタリーを伝えたことでした。久保田さんは自身の不妊症が分かり、こどもを授かることは難しいと落ち込んでいたとき、実際にこどもを迎えて幸せそうに暮らしている家族の様子に、諦めかけていた “家族を持つ”という未来へのビジョンが見えたといいます。

結婚前から不妊症だと知っていたことから、パートナーに同じ悩みを強いることにも葛藤があったという久保田さん。しかし、38歳のときに理解ある現在の夫と出会い、「特別養子縁組も選択肢の一つ」と伝えた上で、結婚を決めました。
夫婦2人の生活も楽しい。でも、どこかで「こどもを育てたい」という気持ちも強くありました。 “産む”と“育てる”は、一体化していなくてもいいのだろうか――。自分の中で、考え抜いたと言います。
そこで改めて気付いたのは、「産むことはできなくても育てられるはず」という思い。夫と何度も話し合い、迎え入れる準備へと進んでいきました。

久保田智子さん(右)

【STEP②登録】相談員が人生のパートナーに

特別養子縁組では、地域の児童相談所や民間あっせん事業者に相談し、研修や面接などを経て登録へと進んでいきます。民間を利用した久保田さんは、相談員との出会いが決め手になったと話します。
久保田さんが出会った相談員の方は、家庭に来るこどもや久保田さん夫妻の立場にとことん寄り添って考えてくれる方だったそうです。特別養子縁組は委託されたら「終わり」ではなく、養育を始めてから分からないことがたくさん出てくるもの。だからこそ、「民間あっせん事業者や相談員の方は人生のパートナーになるかもしれない人。『この人になら何でも相談できる』と思える出会いが大切」だと言います。

研修や面談では、「こういう場合はどう育てますか」「どう対応されますか」と、子育ての状況を細かく想定した質問をされるなど、当初は驚きもあったといいます。決まった正解はないかもしれない問いを通して、自分の人となりをしっかり見ようとしていると感じたのだそうです。

【STEP③迎える】これからの人生を一緒に歩んでいく

待機家族として登録を終えて待っていても、特別養子縁組の成立のタイミングは突然にやってくることが多いものです。久保田さんの場合、お子さんと出会う1、2週間前に「委託の可能性がある妊婦さんがいます」との電話連絡をもらい、改めて夫や親族と話し合ってから、迎えることを決めたといいます。
娘となる女の子と初めて対面したのは、その子が生まれて4日経ったとき。実母が退院するタイミングで病院に行ったそうです。「小さいな、かわいいな。これからの人生を一緒に歩んでいくんだな、と思いました」。

育て始めたころは、「人生ってこんなに幸せなんだ」と感じる時間を過ごしていた一方で、「求められている“いい母親”にならなくてはと必死だった」そう。“産んでいない”ことをどこか引け目のように感じてしまい、「マイナスからスタートしている」という気持ちがあったといいます。他の人の10倍くらい頑張らないとこどもの幸せにはつながらないのではないか、と考えていた当時を、「おなかの中で育む感覚がないままいきなり親になって、気持ちが追いつかなかったのでは」と振り返ります。

そのときの懸命な気持ちは間違いではなかったけれど、産むという経験をしていない自分に対して引け目を感じる必要も、まったくなかった。いまとなっては、そう思えるといいます。

【STEP④家族になって】他愛のない日常が心から愛おしい

お子さんが3歳になったいま、家族の暮らしの中で久保田さんの気持ちはどう変化してきたのでしょう。

迎え入れた当初は、「自分が“お母さん”と呼ばれていいのだろうか」と戸惑うことがあったといいます。そんな気持ちを変えたのが、娘さんの「ママ」という言葉や口癖、仕草など、他愛のない日々の小さな変化でした。
夜、寝室から「ママー!」と大きな声で呼ばれたり、相づちの癖を真似されたり。「私には決して“当たり前”の生活ではなかったので、いまこうしていることに感謝しています」。
娘さんと過ごす時間のなかで、徐々に「私が育てている。私が母親なんだ」という気持ちになっていったという久保田さん。いまは堂々と「私がママです!」と言えるようになったといいます。

特別養子縁組では、こどもに出自を伝える「真実告知」のタイミングや伝え方が、育てる中での重要なテーマになります。久保田さんも「私たちは『育ての親』で、『産みの親』もいる。どちらも素晴らしいんだよ」と話してきたそうです。

こうした家族の形について、「あなたのためにも、産んで育てられなかった産みの親にとっても、私たちにとっても、ありがたいことなんだよ」。そう伝えたい、といいます。

最後に、特別養子縁組を考えている方へのメッセージとして、「もっとたくさん人に頼ってほしい」と話した久保田さん。特別養子縁組は急に「親」になるからこそ、当初は考えれば考えるほど不安になった。けれども、周りに助けを求められるようになって楽になったという自身の経験も踏まえて語りました。
「一緒に育てていきましょう。何かあったら一緒に考えていきましょう」。そういった言葉をかけてくれる人がいるかどうかで、感じ方が全く違うといいます。特別養子縁組であっても、そうでなくても、子育ては大変なもの。一人で抱え込まず、周りに助けを求められるような社会であってほしい、といいます。「実際に『私がいますよ』と手を挙げられる人でいたい」と話してくれました。

養親の当事者として、寄せられる質問で多いのは「迎え入れたこどもを愛せますか?」というもの。そんなとき、久保田さんはこう伝えるのだそうです。
「100%、本当に愛おしくてたまらないです」

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