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イベント情報

【2022年度オンラインシンポジウム第2部採録】
不妊治療から特別養子縁組 一歩を踏み出すには
シンポジウム採録

2023年2月4日に開催された「家族を育む こどもを育てたいと願う人へ 特別養子縁組制度オンラインシンポジウム」の第2部では、「不妊治療と特別養子縁組 こどもの幸せを第一に考えて」をテーマにパネルディスカッションが行われました。不妊治療を経て特別養子縁組を考える場合、どのような思いに向き合い、歩みを進めていくものなのでしょうか。10年にわたる不妊治療を経て養親となり、現在は不妊ピア・カウンセラーとして活動する池田麻里奈さんと、特別養子縁組の民間あっせん事業者「一般社団法人ベアホープ」理事の橋田じゅんさんに語り合ってもらいました。

<登壇者>
池田麻里奈さん(養親/不妊ピア・カウンセラー)
橋田じゅんさん(一般社団法人ベアホープ理事)

<ファシリテーター>
冨岡史穂さん(元・生殖医療担当記者)

不妊治療以外の道もある

「わが子をこの手で抱きたい」という一念で不妊治療を続けてきた夫婦の気持ちが特別養子縁組へ向く過程では、考える時間や周囲からの理解、そして支援が必要なこともあります。「30代は不妊治療一色だった」と振り返る池田さんは当時、どのような心境だったのでしょうか。

「30歳で不妊を疑い、産婦人科を受診したのが始まりでした。不妊治療で何がつらいかというと、先が見えないことです。努力をしても妊娠という成果が得られるとは限りません。不妊治療においては達成せずにやめることになる可能性もあります。『こどもができないということは、ほかの人より劣っていて能力がないんだ』と自分にダメ出しを重ねてしまい、『何で自分は生まれてきたんだろう』とまで思い詰めてしまうこともありました」(池田さん)

池田さんは約10年間で人工授精、体外受精や2度の流産、死産を経験しましたが、体や心に関する悩みを誰かに語ることはできませんでした。友人・知人はほぼ同世代なので、子育てに奮闘中の時期。自分が抱えている、こどもができにくいという悩みとは真逆の状況だと感じたといいます。しかし、同じ経験をした当事者や仲間(ピア)とは、気負いせずに心の内を打ち明けることができました。そして、自らもピア・カウンセリングを学び始めたのです。

「不妊ピア・カウンセラー」となった池田さんは、カウンセリングで特別養子縁組にも言及しています。理由の一つは、不妊に悩むすべての人に「特別養子縁組という選択肢があると知らなかった」という状況を避けたいから。もう一つは、こどもを育てるには不妊治療以外のさまざまな選択肢があると知り、その中から夫婦で話し合って選んでほしいと願うからです。「いったん不妊治療を始めると出産という成果を出そうと集中して、一本道しかないように思えてしまうものです。治療のほかに特別養子縁組や里親といった子育ての道があることを、早い段階から知ってもらうことが大事だと思います」(池田さん)

右から橋田じゅんさん、池田麻里奈さん、冨岡史穂さん

心の切り替えをして養子縁組へ

橋田さんが理事を務めるベアホープは、主に特別養子縁組を考える夫婦とこどもをつなぐ民間のあっせん事業者です。養親希望者に対して制度についての周知活動をするほか、思いがけない妊娠をした女性たちからの相談も受け付けています。特別養子縁組でこどもを迎える養親に対しては縁組成立までの法律上の手続きをはじめ、縁組後も愛着形成(こどもが特定の大人と信頼関係を構築すること)ができる関係づくりを支援するなど、フォローアップとしてこどもが16歳になるまで縁組家族に寄り添っています。

養親希望者の多くは不妊治療をきっかけに特別養子縁組制度を知ったという夫婦であり、中には養子縁組を不妊治療の先にある「最後の砦(とりで)」だと捉える人も。橋田さんは、不妊治療の延長線上に特別養子縁組があるのではなく、「違う2本の道がある」と表現します。

「自分の血のつながったこどもを授からなかった『代わり』として養子縁組をしようという気持ちでいると、 縁組をした後になってからこどもや自分自身がつらい思いをするということもあります。まずは不妊治療から特別養子縁組へと、気持ちを切り替える転機が必要だと考えています」(橋田さん)

池田さんが養親になるにあたっては、どのような経験が「転機」となったのでしょうか。

「体外受精にチャレンジしていたころ、『養子を迎えることは考えていないのですか』と聞かれたことがあったんです。当時の私は『日本でもできるの?』と思ったほどですので、知識は乏しかった。調べていくうちに乳児院や児童養護施設に、何らかの事情で親と暮らせないこどもが4万人以上もいると知ったのです」(池田さん)

池田さんが乳児院や児童養護施設でボランティアを始めると、18歳を過ぎれば頼る先がいなくなるといったこども側の事情も見えてきました。そして、乳児院に預けられる赤ちゃんを手に抱いたとき、心を突き動かされたのです。

「まずこの子たちをいまサポートできないだろうか。何かを変えられないだろうか」。そう思い立ち、夫に「特別養子縁組という選択肢もある」と伝えましたが、実際に夫婦そろって検討段階に至るまでには時間を要したと話します。

不安があったり、迷いがあったりする段階で、民間あっせん事業者の門を叩いてもよいのでしょうか。橋田さんは、「もちろん大丈夫」と話します。

「実際にどんな不安があるのかというのはその人によって違うので、実は養子縁組に進むにあたって特に必要のない不安だったという場合もあるんですね。不妊治療中で心の切り替えができないからこそ、不安に感じることもあるのではないでしょうか。いまは民間あっせん事業者で、そうした質問も受け付けているところが多いと思います」(橋田さん)

橋田じゅんさん

「こどもに何をしてあげられるか」を思い描く

池田さんのもとを訪れる相談者のなかには、来てすぐの段階で「特別養子縁組で養子を迎えられる民間あっせん事業者を教えてください」と言う人もいるそうです。しかし、池田さんは、そういった方も含めて「どうして養子を迎えようと思っているのですか?」と丁寧に聞くようにしています。

中には「こどもがいれば、自分の人生は完璧」「普通の家族になりたい」と言う人が多くいるのだそうです。そういう方に対して、池田さんは“普通”とはどのように捉えているのかを聞いていくといいます。

「“こどもがいない夫婦”というマイノリティーから脱したいと思って養子縁組を考えている方もいます。しかし、こどもを迎えたからといって“普通”になるわけではありません。例えば『母乳で育てたの?』などといったほかの家庭との何気ない会話の中でも、自分たちが血のつながらない家族であると意識するタイミングは出てくるものですし、“普通”を装っていては自分が苦しいと感じてしまうでしょう。迎える前に、カウンセラーも含めるなどして『なぜ養子を迎えたいのか』をよく考えてほしいと思います」(池田さん)

民間あっせん事業者であるベアホープへ相談に訪れた夫婦に「こどもを“選べる”わけではない」と伝えると、驚かれることが多いと橋田さんは言います。

「特別養子縁組とは『こどもがいない家庭にこどもを託す制度』ではなく、『家庭がないこどもが家庭に迎えられるための制度』ということの理解を深めていただきたいと思います」(橋田さん)

また、新生児の委託を希望する夫婦が多い現状もあり、特別養子縁組の対象となるこどもは上限年齢が原則として15歳未満と幅広いことも周知していく必要がある、と橋田さんは語りました。

池田さんは不妊治療を体験した一人として、親の都合にこどもを当てはめるというのでなければ「家族の理想像を思い描く」ということがあってもよいのでは、と話します。

「『こういう子育てしたいな』という思いは素敵なことなので、持ち続けてもいいのではないかと思います。私の場合、『こどもに何をしてもらいたいか』ではなく、『自分はこどもに何ができるか』と考えました。ずっと隣にいて見守る、ということなら私にもできるのでは、と思ったんです」(池田さん)

受託のときは突然やってくる

こうした制度を理解したうえで実際に養親への一歩を踏み出す場合、ベアホープではどのような流れになっているのでしょうか。

「まずは研修があり、よくご夫婦で話し合ってから審査を申し込んでいただきます。書類審査や家庭訪問といった審査を終えたご夫婦が、待機家庭登録へと進みます。この時点になると、明日にでもお子さんを受託することが出来る準備が整っている、という段階です。受託後、家庭裁判所に申し立てをし、監護期間(最低6カ月)を経て、審判が確定をしていきます。その後、役所に特別養子縁組届を提出すると、養親さんの戸籍にこどもの名前が記載されます」(橋田さん)

民間あっせん事業者の研修に参加して一連の流れを知っていても、いざ受託となると緊張してしまう夫婦がほとんどだといいます。池田さんも突然かかってきた電話で「もうすぐ生まれる子がいるのでご夫婦で話し合いをして、明日の朝までに委託を受けるかどうかの返事を下さい」と言われ、気が動転したそうです。そんなとき、背中を押して不安を打ち消してくれたのが、「断る理由なんか、ないよね」という夫からのポジティブな言葉。翌朝、あっせん事業者に電話をして受け入れの意思を伝え、受託のときに備えました。

「どんなに準備をしていても、皆さん驚くのだそうです。そうなったときには夫婦でたくさん話をして、心の準備をすることが大事です」(橋田さん)

いざこどもを受託することになって大慌てというとき、橋田さんが勧めるのは研修内容を落ち着いて思い返してみること。ベアホープの場合、3日間の研修は制度の勉強だけでなく、生みの親やこどもの置かれた境遇などについても伝えており、それぞれの夫婦に合った実習を提案するといいます。

血のつながりはなくても、気付けば家族に

生後5日という赤ちゃんを迎えた後の池田さんの生活は夫婦2人での暮らしから、がらりと変わりました。

「最初は『血のつながりがなくても愛せるのかな』という不安もあったのですが、日々こどもの世話をしていたら、そんなことを考える隙間もありません。こどもと接するときに『養子』であると思い出すこともなく、気づいたら家族になっていました。こどもが親にしてくれたのではないかと思います」(池田さん)

一方、池田さんがほかの家庭と変わらない日常のなかでも忘れないようにしているのが、「私たちは養子縁組ファミリーなのだ」という自覚です。特別養子縁組で親子となった家族が向き合うことになる、真実告知(こどもに生い立ちや生みの親の情報を伝えること)という課題もあります。「こどもの成長の過程しだいで、伝え方は異なるもの。養親は前向きに学び続け、そのときに備えることが大事だと思います」

池田さんは特別養子縁組の家庭であることを周囲に打ち明けると、「よかったね」といった“幸せな驚き”が返ってきたと振り返ります。つらさも伴う不妊治療を乗り越え、さらに特別養子縁組という新たな段階へと進めるためには、何が求められているのでしょうか。池田さんは、まずは特別養子縁組制度について知ってもらうことに加えて、「社会が温かく見守ってくれるならハードルが下がり、より多くの人が挑戦しやすいはず」と語ります。

民間あっせん事業者として行政機関と関わることが多い橋田さんは、的確な支援をするためには民間と行政が情報を共有するなどし、より力を合わせていく必要があると指摘します。

最後に、特別養子縁組を考える人に向けて、二人は次のようなメッセージをおくりました。

「縁組へ踏み出すときには迷って当然だと思います。私もたくさん迷いました。夫婦で話しにくかったとしても、勇気を出していただきたいです。全力で応援しています」(池田さん)

「もし、ご夫婦では話しにくいというときがあれば、私たち民間あっせん事業者に相談いただいても大丈夫ですよ。いろいろなご夫妻を見てきましたので、ぜひお力になれればうれしいです」(橋田さん)

PROFILE
池田 麻里奈(いけだ・まりな)/不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」主宰。30歳から10年以上、不妊治療に取り組む。人工授精、体外受精、2度の流産・死産を経験。42歳で子宮を全摘出し、特別養子縁組を決意。1年後、生後5日の息子を迎える。不妊・養子縁組相談のほかに、メディアや大学で「新しい家族のかたち」の講演活動を行う。夫婦のエッセイ『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)を2020年に刊行。
PROFILE
橋田 じゅん(はしだ・じゅん)/特別養子縁組の民間あっせん事業者である「一般社団法人ベアホープ」理事。東京都子育て支援員。3児の母としてサインランゲージである「おててサイン」を学び、講師として活動。その経験を活かし、2015年よりベアホープでケースワーク事務として養親や家族のケアなどを担当している。
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