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イベント情報

【2022年度オンラインシンポジウム第1部採録】
日常生活を重ねて家族になる

特別養子縁組は、さまざまな事情から生みの親と暮らせないこどもを迎え入れ、家族になる制度です。特別養子縁組制度に関心のある方々におくる「家族を育む こどもを育てたいと願う人へ 特別養子縁組制度オンラインシンポジウム」が2023年2月4日、開催されました。
第1部では、「新しい家族の形 当事者対談」と題し、実際にこどもを迎えた養親が語り合いました。ゲストは2017年に新生児の男の子を迎え入れていま子育て真っ最中という俳優の瀬奈じゅんさん、ダンサーの千田真司さん夫妻。そして、1998年に幼児期の女の子を迎えてから四半世紀という国士舘大学教授の福永清貴さんをお招きし、特別養子縁組で家族になっていく過程や課題の乗り越え方などについてディスカッションしました。

<登壇者>
瀬奈じゅんさん(養親/俳優)
千田真司さん(養親/ダンサー)
福永清貴さん(養親/国士館大学法学部教授)

<ファシリテーター>
見市紀世子さん(元・子育て担当記者)

まずは夫婦で気持ちを一つに

――特別養子縁組で血縁関係のない親子が家族となっていく流れを、四つのステップに分けてみました。みなさんは各ステップについて、どう思われますか。

千田:ステップ①の「決意」は、とても重要なフェーズだと思います。夫婦のどちらか一方が特別養子縁組という選択肢を考えて、もう一方に相談してから決意に向かって進んでいくと思いますが、お互いの考えをすり合わせ、思いが共有されている状態でないと前に進めません。一方だけの思いで無理やり前に行こうとしても、きっとひずみが生まれてくるはずです。夫婦の気持ちの足並みをそろえることが、最初のスタートでは大事だと思います。

福永:我が家も同じく、夫婦で一緒に考えてよく話し合いながら決意を固めていきました。ステップ②の「登録」にあたっては私たちの場合、まずは児童相談所で里親登録をしました。ステップ③の「迎える」までには少し待つ時間があったのですが、こどもと巡り合う機会があり、ステップ④の「家族になって」に至りました。25年にわたるこどもとの生活は大変なこともありますけれども、たくさんの喜びもありました。生活を始めてからが本当のスタートなのだということを、つくづく実感しています。

右から福永清貴さん、千田真司さん、瀬奈じゅんさん、見市紀世子さん

瀬奈:私たち夫婦は民間あっせん事業者を通すことにしました。事業者(注:2022年4月現在、23事業所)によって、考え方は異なります。登録にあたっては審査があるので養親希望者は自分たちを“選ばれる側”と感じてしまうかもしれませんが、こちらが自分たちの考えと合ったあっせん事業者を“選ぶ”気持ちでいることも大切だと思います。ご縁のあった事業者とは一生のお付き合いになりますから。

私たちはいろいろな事業者の話をうかがう過程で、“こどもを育てたい”“こどもと温かい家庭を築きたい”といった思いは私のエゴなんじゃないか、とすごく悩みました。もちろん特別養子縁組はこどもが幸せになるための制度ですが、 “こどもを育てたい”という親側の気持ちがないと、この制度は成立しないものだとも考えています。そうした自分たちの感覚と一致し、後押ししてくれる事業者と出会うことができたので、私たちは前に進むことができました。

福永:おっしゃる通りだと思います。はじめに夫婦の“育てたい”という強い気持ちがなければ特別養子縁組は成立しませんし、その後の苦労も乗り越えていけませんからね。

血縁にこだわらなくてもいいのでは

――いざこどもを迎えるまでに、どのような悩みがあり、どうやって乗り越えて決意したのでしょうか。

瀬奈:私は約2年間の不妊治療で、体外受精を7回もしました。かなりハードで、ゴールが見えない長いトンネルに入っているような気持ちでした。そんなときに夫が「特別養子縁組という制度があるよ」と伝えてくれたのです。まうかもしれませんが、こちらが自分たちの考えと合ったあっせん事業者を“選ぶ”気持ちでいることも大切だと思います。ご縁のあった事業者とは一生のお付き合いになりますから。

瀬奈じゅんさん

千田:もともとこどもが好きだったので、保育にかかわる民間資格を取って、お子さんを預かる仕事をしていた時期がありました。そのときに出会ったこどもたちはどの子も愛らしくて、「もし何かの事情で育てることになっても皆を愛せるだろうな」と思えたんです。不妊治療を始めて半年くらい経ったころは、何度か治療に失敗し、妻にばかり負担がかかっている状況でした。少しでもつらい気持ちを楽にできたらという一心で、妻に「必ずしも血縁にこだわらなくてもいいんじゃないか」と伝えたのです。

瀬奈:そのとき、「私はあなたとのこどもを育てたいから、つらい思いをして頑張っているのに!」と思いましたし、彼にも伝えました。ただ、1年半ほど経ったときに、妊娠がゴールのようになっている自分に気が付いて。「私は産みたいんじゃなくて、育てたいんだ」という気持ちと向き合ったことで、改めて特別養子縁組制度について知りたいと思ったんです。

千田:僕も提案した時点で強く決意をしていたわけではありません。妻から「特別養子縁組について考えてみたい」という言葉をもらって、民間あっせん事業者が主催するセミナーに足を運ぶようになりました。不妊治療をスパッとやめたわけではありませんが、自分たちで意思決定できる方向に舵を切れるかもしれないと、どこかほっとした部分があったことを覚えています。そこから二人でいろいろと話し合い、決意をしていきましたね。

福永:私たち夫婦の場合、妻が朝日新聞地方版の記事で特別養子縁組によってこどもを迎えた人の体験談を読んだことがきっかけでした。私自身は法律の専門家で、制度自体について知ってはいましたが、自分が当事者になるとは思っていませんでした。子宝に恵まれないことを悩む妻の姿を見て「考えてみよう」と思ったのです。

妻からは「実子に恵まれない私たちがいて、生みの親に育ててもらえないこどもがいる。だったら、私たちが育ててあげたらいいんじゃない?」と提案がありました。夫婦も元々は血のつながりのない他人ですが、一緒に同じ場所で同じ時間を過ごすうちに家族になっているわけです。「こどもだって一緒じゃないか」と、私も考えるようになりました。

――お子さんと初めて対面した時のことを覚えていますか?

福永:昨日のことのようにはっきりと覚えています。当時、娘は2歳5カ月でした。乳児院を訪ねたとき、最初は私たちの方を見ず、“この人たちは誰なんだ”と、まるで私たち夫婦を拒絶しているような表情でした。声をかけているうちにチラチラとこちらを見るようになり、次に抱っこをさせてくれました。その後2日間、乳児院に通って食事や着替え、入浴、散歩などの時間を一緒に過ごしました。3日目に乳児院のスタッフから「連れて帰ってください」と言われて我が家へ。それからあっという間に25年が経過し、いま26年目に入っています。

千田:うちは生後5日で迎え入れました。福永さんの話をうかがい、25年経っても昨日のことのように思い返せる感覚になるということがとても楽しみです。私たちもそれくらい、息子との出会いに運命のようなものを感じました。

瀬奈:息子を産院へ迎えに行くにあたり、看護師さんから「ミルクを上手に飲めないのでレクチャーします」と言われていたんですが、私がやってみたら何のコツもいらずにすんなり飲んでくれたんです。その様子を見てスタッフの皆さんが「この子はお母さんを待っていたんだね」と涙を浮かべながら言ってくださって、すごく感動的な出会いだったことを覚えていますね。

千田:息子との出会いは、息子にとって一緒に生活する家族が出来るということはもちろん、自分たちにとってもそれまでの不妊治療のつらさや葛藤、不安がすべて消え去るくらいの瞬間で、「この子のおかげで自分たちが救われた」と感じました。

千田真司さん

変化や苦労も「幸せ」に返る

――お子さんを迎えた後、どうやって家族となっていったのかを教えてください。

福永:我が家の場合、こどもが生まれて2年5カ月間は私たち夫婦と生活していませんので、乳児院などからは事前に赤ちゃん返りや、(親が困るような行動を繰り返す)試し行動があるものだと言われていたんです。覚悟していましたが、実際に体験してみると、それはとても大変でした。

振り返ってみると、当時は25年間の子育てで最も困難を感じた時期です。私が出勤するときと、帰宅したときに見る妻の顔がまったく違っていて、日中ずっと子育てに向き合った後の妻はぐったりと疲れていました。私も帰宅後、こどもを入浴させたりご飯を食べさせたり、絵本の読み聞かせをしながら寝かしつけたりなどをして子育てを引き受けましたが、引き取った当初はどうしても妻の負担が大きくなってしまっていました。ただ、こどもの笑顔と寝顔を見ると、「あぁ、幸せだな」と思うんですよね。本当にたったそれだけで、大変なことがあってもまた頑張れる、と感じました。その繰り返しです。

その大変さも半年を超えると落ち着いてきて、娘が幼稚園に行くようになると友達もでき、妻にもママ友ができて、ほかの実子を育てるご家庭と変わらないようになっていきました。家族ぐるみで近所付き合いをしていたので、娘は周りの多くの方にも育ててもらった気がします。

福永清貴さん

千田:私たちの場合も子育てが始まると、それまでと180度違う生活になりました。それは「特別養子縁組だから」というわけではなく、生後5日で迎えてゼロから親になっていったので、毎日バタバタしながら大変な思いもしていました。でも、やはり最終的には幸せが全てを包んでくれる、という感じですね。

瀬奈:私は舞台の仕事を続けていましたので自分の時間、特にセリフを覚える時間がなくなってしまい、最初は体力的にも精神的にも大変でした。がむしゃらに頑張りすぎてしまったときもあって、仕事と子育ての調整は難しいと思いましたが、その変化はとても幸せな変化でした。

いま制度が身近に感じやすい時代に

――瀬名さんと千田さんは、養親の先輩である福永さんに対して何か質問がありますか。

瀬奈:特別養子縁組で親になると、こどもに生い立ちを伝える「真実告知」が大切になってくると思います。うちは息子が0歳のときから入浴しながら「ママはあなたを産んであげることができなかったけれど、もう一人のお母さんがあなたを産んでくれたんだよ」と、自分の練習も兼ねて話していました。福永さんのご家庭では、本当の意味で特別養子縁組によって親子になった事実を理解したときというのは、どんな感じだったのでしょうか。

福永:瀬奈さんがお子さんに語ったことと同じような内容を、妻もこどもをお風呂に入れながら伝えていました。娘が3歳のころは「何を言ってるんだろう?」という感じで聞いていたのですが、6歳ぐらいになったある日、娘のほうから妻に「お母さんは別にもいるんだよね」と切り出してきたようなんです。そこでもう一度しっかりと真実告知をしたところ、本人もすごく納得したような顔をしていたそうです。私はその場に立ち会っていないんですが、妻の話では娘が自分の人生や運命を受け入れているように感じた、と。そして私たち夫婦を親として受け入れ、「一緒に生きていくのだな」と感じているようだった、と妻は言っていました。

千田:我が家も息子は5歳なりに理解をしているようですが、この先は生い立ちやその背景なども含めたもっと深い話をすることになるのだと思います。本でいろんなケースの話を読んだり、養子当事者の方々がしている発信も参考にしたりして、来たるときに備えていきたいです。

いま、私たちは特別養子縁組をしたことを公表して皆さんに受け入れてもらえていると感じていますが、福永さんが娘さんを迎えられた25年ほど前の、特別養子縁組に対する社会の見方や環境はどうでしたか?

福永:30年近く前はいまのようにSNSも発達していない時代ですので、具体的な手続き等についてどうやって調べればいいのか、どんな方法があるのか、自分で調べる術(すべ)も分かりませんでした。でも、経験者は多くの知見を持っています。まずは新聞記事をたよりに、そこに載っていた方に直接電話をかけて話をうかがいました。電話口で話を聞きながら必死にメモを取り、いろんなところへ出かけていくなどして、やっと必要な情報にたどり着く。そうしたプロセスがありましたね。

ですから、いまの状況はとてもうらやましいです。SNS等を通じて当事者の方が自己の体験を発信されており、インターネットで検索すればいろいろなあっせん事業者の情報もたくさん出てきて、むしろ選ぶのに苦労するのでは、というほどですよね。手がかりが少なかった約30年前と比べていま、特別養子縁組を取り巻く状況は大きく変わりました。多様性の社会でいろいろな人がいるんだな、ということを理解してくださる人も増えたように感じられます。

特別養子縁組が特別視されない社会へ

――最後に、シンポジウムをご覧の方々に向けてメッセージをお願いします。

瀬奈:特別養子縁組を考えていらっしゃるご夫婦の皆さん、子育てにおいては大変なこともありますが、私たちは特別養子縁組で息子を迎えて本当に幸せな日々を過ごしています。息子が成長したときに、特別養子縁組が特別視されない世の中になっていることを目指して、発信し続けていきたいと思っています。何よりもまず正しい知識を得ることが大事だと思いますので、「こどもを迎えたい」という大きな心を大切にして、これからも学んでいっていただけたらと思います。

千田:特別養子縁組でこどもを迎えたことを公表したからには、「自分たちが救われたこの制度を皆さんにも正しく知ってもらえたら」と思って発信する活動をしています。

息子を育てているなかで、息子がかわいければかわいいほど、「この子を産んでくれたお母さんにも幸せになってほしい」と強く感じるんです。こどもを産んで託すという愛ある決断をされたお母さんたちに対しても、温かい社会であってほしいと願っています。

福永:25年間養親をやってきて、本当によかったと思っています。もちろんこどもを迎えた当初やその後の成長の過程で、特に反抗期や思春期には苦労することもありますが、それは血縁関係がある親子でも同じだと思います。特別養子縁組を考えている方は、どうぞあまり恐れずに「自分たちが育てたい」という気持ちを大事になさってください。それがひいてはこどもの幸せにもつながるのではないでしょうか。ぜひ勇気を持って一歩を踏み出されることを願っています。

PROFILE
瀬奈 じゅん(せな・じゅん)/1992年、宝塚歌劇団に入団。2005年、月組男役トップスターに就任。09年の退団後は、舞台やテレビ番組などで幅広く活躍。私生活では、俳優・ダンサーの千田真司さんと結婚。17年に特別養子縁組でこどもを家族に迎える。翌年にその事実を公表するとともに、特別養子縁組の周知活動を開始。
PROFILE
千田 真司(せんだ・しんじ)/ダンサー、コレオグラファー、ダンススタジオFBB主宰。夫婦で日々、仕事と育児を両立させている。2018年、特別養子縁組の周知活動を行うため「&family..」を設立。夫婦の共著に特別養子縁組についての経験を伝える『ちいさな大きなたからもの』(方丈社)がある。
PROFILE
福永 清貴(ふくなが・きよたか)/国士舘大学法学部教授。1998年に特別養子縁組をして以来、今年で養子との生活は26年目。子育てに悪戦苦闘した養親としての体験に基づき、同じ悩みを持つ特別養子縁組親子に少しでも寄り添いたいと「養子と里親を考える会」に理事として参加し、特別養子縁組制度の啓発活動に取り組んでいる。
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