Ruru Ruriko ピンク

銭湯で裸になることへのトラウマ[Ruru Ruriko ピンク73]

ちょっとモヤモヤした気持ちになったとき、読んでみてください。いい意味で、心がザワザワするフォト&エッセイ。イギリスで暮らすRurikoさんが恋しいと思うもののひとつに挙げるのは、温泉&銭湯。そんなRurikoさんも小学生時代の嫌な思い出が原因で、銭湯で裸になることに抵抗があったのだとか。日本を離れてみて思う、銭湯文化とは?

●Ruru Ruriko ピンク 73

日本のお風呂に思いをはせる

海外に出て感じる、“日本のここが恋しい”と思うことのひとつが「温泉・銭湯」!

私が住むイギリスには、スパはあるけれど銭湯も温泉もなく、お風呂に入る文化ではないので寒い日も基本的にシャワーのみ。慣れてしまえば気になりませんが「お風呂入りたいな」と日本に思いをはせています。

そんなお風呂が恋しい私ですが、ラッキーなことに最近引っ越した家にはバスタブがあるので、自宅で簡単にお風呂に入れるように!先日、さっそくゆっくりとお風呂に浸かりリラックスタイムを過ごしました。

今ではお風呂好きですが、実は公共の温泉や銭湯に入れるようになったのは、ここ数年のこと。以前は人前で裸になることに抵抗があり、家族で温泉に行っても、夜中や朝方の誰もいない時間にささっと入ったり、友達に誘われた時は断っていました……。友達の前で裸になるなんて絶対無理!

みんなとお風呂に入る、嫌な思い出

以前、コラムにも書きましたが自分の身体が嫌いだったことも関係しますが、それより銭湯と聞いて思い出すのは小学生の時の嫌な思い出。

小学生の頃に行った学校の旅行(多分修学旅行)で、もちろん夜はみんなお風呂に入るのですが、それが女子は全員一緒にお風呂に入ることになっていました。多くの子どもたちがこの時初めて友達とお風呂に入ったのだと思いますが、みんな少し恥ずかしそうに笑っていたことを覚えています。

私はその当時、既に少しずつ成長し変わっていく自分の身体と複雑な感覚を持ち始めていて、それをすごく恥ずかしく感じていました。

お風呂の脱衣所では女性教師が座っていて、生徒たちがお風呂から出るまで待っていました。
最後まで服を脱ぎたがらない生徒は数名いて、できたらみんなが先に行ってから服を脱ぎたかったグズグズとしている私もその一人。痺れを切らした教師から「さっさとしなさいよ!」と急かされ、彼女は私たちがちゃんと全部脱いでいるかをチェックするかのような目で監視し、その視線の中で裸になることを強制された私は、小学生ながらに本当に嫌で嫌で仕方がなく、いまだにそのことを覚えています。 

小学校の頃の思い出といえばほかにもあり、小2の時点で男子生徒と同じ教室で体育の着替えをするのが嫌で、友達とトイレで着替えたら教師に怒鳴られたことや高学年になってから着替えを覗き見してくる男子に対して、何も対策がなされていないことなども嫌な記憶として残っています。

最近でも、小学校の校則でブラジャーや肌着を禁止されている、下着の色をチェックされるなど信じられないような校則問題を目にします。

大人になってから思うのは、子どもの頃、大人にされて嫌だったことって意外と覚えているということ。
大したことない、小さいことだったとしても、幼いながらに嫌だと感じた気持ちはなかなか消えずに今の自分につながっていっているんだなあと思います。

いろいろな身体がお湯に癒やされる最高な場所

『乳と卵』(川上未映子著/文春文庫)には、豊胸手術をしたい母の巻子、そんな母と成長し変わっていく自分の身体に嫌悪感を抱く娘・緑子の話があります。

子ども時代に、周りの大人から見えてしまった性的な部分への嫌悪や、大人からは子どもとして扱われる一方で、もう既に成長を感じている自分の身体への戸惑いなど、子ども時代は難しいことだらけ。

私が体験した子どもながらに自分の身体について(脱ぐことを強制されるなど)決定権がなかったことへの怒りとトラウマは、20年近くたってやっと克服しつつあります。自分が嫌だったからこそ、子どもと関わる際には、相手が子どもだからと強制したり、意見を聞かなかったりしないように気をつけようと思っています。

日本では露出が多い服装の人は割合的に少ないですし、身体に対してオープンに話せない割には、温泉・銭湯など裸で他人とお風呂に入る文化もあったりして、おもしろいですよね。

銭湯なんて、老若男女様々な人が丸裸なわけで、一般的なボディイメージの幻想を現実としてみたり、年を取るにつれて変化する身体を知ることができます。もしかすると銭湯は、いろいろな身体が温かいお湯で癒される最高な場所なのではと日本から遠く離れたイギリスで恋しがる私です。

18歳の時にイギリスへ留学、4年半過ごす。大学時代にファッション、ファインアート、写真を学ぶ中でフェミニズムと出会い、日常で気になった、女の子として生きることなどの疑問についてSNSで書くようになる。