体験談を読む
一人で悩む当事者をなくしたい。
養子だから見えた、つながりの大切さ
みそぎさん
特別養子縁組の当事者として育った「みそぎ」さん。いま東京で会社員として働くかたわら、「みそぎ」という名前で自身の経験や思いをブログやSNSで発信し、2020年4月には特別養子縁組家庭支援団体「Origin」を設立。当事者たちのコミュニケーションの場をつくっています。養子として育って見えた視点、「Origin」設立に込めた思いを聞きました。
大事なのは、養親と養子としての関係の積み重ね
――特別養子縁組の当事者として育っていらっしゃいます。どのようなご家族のもと、どんな経緯で養子縁組されたのでしょうか。
両親とは、2歳半ごろに養子縁組が成立しました。
僕は生まれた直後に遺棄されていて、へその緒がついたままタオルでくるまれていたのをその日のうちに見つけてくださった方がいました。病院に搬送され、役所で戸籍が作られました。その後、1歳半まで乳児院で生活したあとに、ある程度長い期間でいまの両親とのお泊りや生活をしてみてから、養子になりました。
――ご自身が特別養子縁組の当事者だと知ったのはいつでしたか。
高校2年生の冬です。教育熱心で厳格だった父が、怒った拍子に口をすべらせる形で知りました。
そのときは、大学入試の数学の問題を父に教わっていたんですが、どうしても解けない問題があった。何度も同じところでつまずく僕に、しびれを切らした父が「自分のこどもだったら解けたはずなのに」と言ったんです。。
――その言葉を聞いて、どんな気持ちだったのでしょう。
聞いたときは「だからだったのか」と思いました。
普通はその状況で言われたら、「父が感情的になって口から出まかせを言った」と思うのかもしれない。でも僕は、すんなりと納得できたんです。
父は僕に対する期待値が高くて、いつもイライラしている人でした。怒るのにもエネルギーがいるのに、よくずっと怒り続けていられるなって思っていたので、「父も父で、しっくりきていなかったんだな」と、理由が見つかった気がしました。
その日のうちに、ちょっと冷静になった父と母から、特別養子縁組とは、生みの親とは完全に縁が切れて戸籍上、実親子同様の関係になるんだよ、と聞きました。ただ、それ以上の情報はなかったので、大学生になってから自分のルーツをたどって知っていきました。
――いまは、こどもに出自を知らせる「真実告知」は3歳までにしましょう、と行政や民間のあっせん団体でも言われています。それに対して、どんな考えをお持ちですか。
僕が3歳のときの社会状況は分からないのですが、当時は「真実告知はすべき」という考え方もまだ広がっていなかったんじゃないでしょうか。
実際に、20~30代の方の中には、いまだに自分が特別養子縁組当事者だと知らない方もいます。結婚を決めるときに戸籍を見て、初めて自分が当事者だと知る方も多い。自分だけの人生ではなくなる結婚のタイミングで知るのは、衝撃が大きいと思います。自分のルーツをたどる時間的な余裕もなく、不安定になる方も少なくありません。
自分の経験を踏まえても、真実告知は小さいときにする方がいいと思っています。
僕はいま25歳なのですが、25年かけて養子として育ってきたわけではなく、高校2年生で知ってからなのでまだ10年も経っていません。
当事者として自分の出自や生まれてきた意義に疑問を持つタイミングは出てくるので、そのときに悩みを相談したり頼ったりできる人がいることはすごく大切です。友人や学校の先生、カウンセラーなどもいますが、理解してもらうのは難しい。養親がその相手になれたらいいと思うんですが、僕には、それがうまくできませんでした。長く実親実子の関係としてきていると、養親と聞いていきなり出自の相談をするというのは、難しいと思うんです。
相談できる関係であるためには、養親と養子という立場での親子の信頼関係を長い時間かけて築いていく必要がある。その積み重ねがあってはじめて頼れるし、相談できると思います。
――当事者として、「真実告知」ではどういった視点が大切だと思いますか。
「真実告知」は、したら終わり、では意味がないと思っています。
真実を伝えるところから、養親と養子としての関係性が始まります。成長に応じて「自分がどこから来たのか」「自分のお母さんお父さんはどういう人だったのか」など知りたいことは増えていくし、変わっていきます。そのタイミングごとに、養親とコミュニケーションを取りながら、養子と養親の思いを伝え合って、こどもが悩みを打ち明けられるようになる。その関係づくりには、時間がかかると思います。
――みそぎさんは、大学生になって自分のルーツをたどったと言います。そこで苦労されたこと、課題に感じたことはありますか。
そもそも、出自の調べ方が分からなくて困りました。養子が相談できる窓口が見つからず、自分で戸籍をたどったり、児童相談所に記録の開示請求を出したりして生い立ちをたどっていきました。
でも、情報だけポンと出され、開示された内容にダメージを受けましたし、自分だけでやらなくてはいけないことが多かった。自治体の窓口の方の対応も、人によってばらつきがあります。その対応次第で、相談しようと思えなくなってしまう当事者もいるんじゃないかなと思いました。
最近の動きとしては、2020年にISSJ(社会福祉法人日本国際社会事業団)が「養子縁組後の相談窓口」を開設しました。
これまでは各あっせん団体で、その団体を介して託されたこどもたち以外に対応しているところはあまりなかったのですが、この窓口はどのあっせん団体かにかかわらず誰でも相談を受けてくれる。一歩進んだ気はしています。ただ、僕が当事者の方に話を聞いたり、実際に自分がたどったときの話や情報開示のアドバイスをしたりするなかで、調べてもなかなか出てこないという状況が、残念ながらまだ続いている状況です。
つながって相談し合えるコミュニティを作りたかった
――20年4月4日(養子の日)に当事者団体である特別養子縁組家庭支援団体「Origin」を立ち上げました。どんな思いで設立を決めましたか。
一人で悩む当事者をなくしたい、というのが一番の思いでした。自分と同じように大変な思いをしている人がいるのなら、自分の経験を含め、当事者たちがアドバイスしたり寄り添ってあげたりしたいと思ったんです。
これまで相談窓口がなかったのは、こどもの当事者で発信している人がほとんどいなかったからだと思います。
児童養護施設や里親のもとで育ったこどもたちの当事者活動に比べると、特別養子縁組の当事者活動は何年も遅れています。手放しに幸せだという当事者の声が多かったことや、「一般家庭で実親実子として育つのだから問題ないだろう」と認識されがちで、サポートが必要という考え方がなかったのでしょう。
でも、実態はそうとは限らない。これから大きくなっていく当事者のこどもたちにとっても、支援体制を整備しておいてあげたいと思っています。
――Originではどんな活動をされていますか。その活動背景の思いも聞かせてください。
当事者のこどもたちのサロンや、養親のサロンを開いたり、僕や当事者たちの情報発信を続けたりしています。
僕は大学時代に、里親と里子を支援するボランティア団体に入っていました。そこで、社会的養護の当事者団体と関わる機会がたくさんあって、当事者同士が気軽に意見交換をしている様子を、いいなと思っていました。特別養子縁組という特有の制度においても、当事者たちがつながりやすく、つながったあとでいろんな相談をし合えるコミュニティを作りたいと思ったんです。
――実際に設立されて、当事者の方からはどんな声が上がっていますか。
団体ができてから、当事者とのつながりが一気に増えました。
支援者の中には「こんな当事者がいるんです」とつなげてくださる方もいます。民間のあっせん団体内でのサロンに参加されている当事者もいますが、僕につながってきたのは、「自分以外の当事者に会うのは初めて」という方ばかり。大きくなってから自分が当事者だと知った方が7、8割で、「同じ境遇の方がいるんだ」と驚きと安心の声が多いですね。
――これから活動を通じて、当事者にどんな環境を作っていきたいですか。
うちの団体で何かやりたい、というよりも、Originをきっかけに他の当事者団体が増えていって、当事者の発信が増えていけばいいなと思います。その中で、特別養子縁組制度がこども側の視点でも改善されていくようになったらいいですね。
いまは、当事者の相談を僕ら当事者が聞く、という活動も行っています。でも中には、明らかに専門家がケアすべきケースもあります。ニーズに応じて、専門のカウンセリングとつながる仕組みを作るなど、いろんな領域から当事者を支援できるネットワークを広げていきたいです。
出自を知る際の寄り添いのサポートも、取り組みたい課題の一つです。
例えば情報開示請求のとき、どういう思いや経緯で知りたいのかなど話をする中で、その子には精神的なケアが必要だとわかることもあると思うんです。知りたいと言われたから情報を出すだけ、ではなく、きちんと対話ができる寄り添いのサポート体制を作っていればと思っています。
特別養子縁組はこどもに「寄り添う」制度
――当事者のこどもを取り巻く環境は、どう変わっていくと思いますか。
いまは不妊治療が高度化して、長い間頑張った時間を経て、特別養子縁組に至る方が多い。その苦労を経てこどもが自分たちの手元に来た、という流れで捉えてしまうと、こどもへの期待が大きくなってしまうのかなと思うんです。
しかも特別養子縁組は、児童養護施設や里親制度のような社会的養護ではなく、家庭の中で完結すべきと捉えられてきました。
どうしても養親がこどもに、愛情という形であっても期待をしてしまって、しんどくなるこどもが増えてしまうのではないか。だからこそ、家庭内だけで養育が完結しないように養親の相談窓口があったり、こどもが相談できる場所があったり、養親、養子ともに家庭外に頼る場所があることがすごく大事になると思います。養親は心理的にもケアすべき存在で、養育家庭は要支援家庭ととらえる視点が大切だと考えています。
特別養子縁組は本来、不妊治療とは切り分けて考えるべきもので、あくまでも産みの親が育てられないというルーツを持ったこどもたちに寄り添っていくための制度だと思います。
「親」は完璧でなくていい、幸せになってほしい
――これから養親になる方、すでになっていらっしゃる方へ知っておいてほしいこと、伝えたいことはありますか。
完璧であろうとしないでほしい、と思っています。
養親の方と話していると、一般のご夫婦以上に、完璧な親でなければならないと思っている方がとても多いんです。それは、養親として登録・審査される過程で「いかにいい親になれるか」をアピールしてきている経緯もあるからだと思います。
でも、親としてあるべき姿や感情、考え方といった価値観で自分をがんじがらめにした状態で縁組をしてしまうと、子育てをしていてもつらくて苦しくなるんじゃないかな。
しかも、「あそこは実のこどもじゃないから子育ての方法がおかしいんだ」「愛情がないんじゃないか」とか責められるかもしれないと思うと、しんどさを外に出しにくいですよね。周りの目に対する不安があると、自分たちがいかに完璧な養親で、こどもとの関係が良好かを必死に考えてしまうようになるのではと思います。
そもそも特別養子縁組の家は、そうではない家庭に比べるとどうしても家庭運営の難易度が高いと思います。
こども側の視点から思うことなのですが、例えば反抗期のときに「自分は特別養子縁組だから、こんなにきつく怒られるんだ」とか「産みの親じゃないから愛してくれないんだ」と受け取りがちだと思うんです。養親にまったくそんな思いがなくても、ネガティブに受け取るこどもは少なからずいます。
養親の方も、「これができないのは自分の子じゃないからだ」とか、ごく一般的な反抗期なのに「自分にこんなにつらく当たるのは血がつながっていないからだ」と思うかもしれない。
親子関係はただでさえ難しいのに、養親の方はさらに大変なことをされています。こどもに対して感情的になりそうになったり、親として思ってはいけないことを思ってしまったりする瞬間があるのも、当然だと思う。だからこそ、家庭の外で感情を発散させる場所があることはすごく必要で、安心して自分自身を受け止めてもらえる場を持つことで、家族がうまくいくこともあると思います。
「こんなふうに考え方を変えていってみては」「それって、どんな家庭でもよくあることですよ」と一言、外から言ってもらえたら、それだけで心が軽くなるんじゃないかな。だから、完璧でなくてもいいんですよと、これからも養親の方々に伝えたいですね。
――当事者として、特別養子縁組制度の意義はどんなところにあると思っていますか。
僕は、家庭の中で育った人が当然のように経験できることを、同じように経験できたことが大きかったと思います。大学で一人暮らしをしたときに、自分が生活する上で必要な家事や手続きなど、わからないものがなくてすんなり適応できた。それは、父や母の家庭内の役割を見ながら、どんな風に家事をやっているのかを見てきたから根付いていたものでしょう。ありがたかったなと、親元を離れて改めて思いました。
――最後に、産みの親に対してのお気持ちを聞かせていただけますか。
遺棄されていたと知ったときは、申し訳なかった、という感情でした。
自分が生まれたことで、彼らの人生を壊したんだろうな、迷惑をかけたなという思いが強くて、自分を責めていましたね。
こどもを手放す選択にはいろいろな背景があると思います。こどものためを思って手放す人もいるでしょう。実の母親や父親など、誰か一人や数人を責めれば済むものでもなく、根深く多岐にわたる問題だと思います。でも、どんな経緯であっても、手放した人には、幸せになる「義務」があると思っています。産みの親が幸せになっていたら、手放されて一緒に育つことができなかったこどもたちのいろいろな気持ちも報われる。ご自身もたくさん傷ついていらっしゃると思うので、時間をかけて少しずつでもいいけれど、最終的には幸せになってほしいと願っています。
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