体験談を読む
「最後まで味方」こそ家族
ともに困難を乗り越え築いた信頼関係
宮津航一さん
保護者が育てられない乳幼児を匿名で預かる慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご」、いわゆる「赤ちゃんポスト」に預けられた宮津航一さん(19/以下、航一さん)。3歳から里親家庭で育ち、2020年、高校2年生のときに育ての里親と普通養子縁組をしました。普通養子縁組も、実子と同じ親子関係を結ぶ特別養子縁組も、血縁にとらわれない親子関係を築く制度。幼くして迎え入れられた航一さんが両親への信頼を深めていった道のりから、家族となるために大切なことを探ります。
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「認めてくれている」と感じた抱っこの嵐
「家族は、一生の誇り」。航一さんが暮らす宮津家の応接室には、こう手書きされた短冊が飾られている。熊本市の郊外、美しい山並みをバックに田畑が広がる緑豊かなこの地で、宮津美光さん(65/以下、美光さん)、みどりさん(64)夫妻は、実家庭で暮らせないこどもたちを養育するファミリーホーム(※)を運営している。この「家族は、一生の誇り」という言葉は、航一さんの次に宮津家に迎え入れられ、暮らし始めたこどもが書いたもの。宮津さん夫妻がこれまでに養育したこどもは、航一さんを含めて31人に上る。
「宮津家を表す言葉ですね。ここにいるこどもたちはいろいろな生い立ちがありますが、一緒に暮らしています。それを家族と呼んで一生の誇りにするという、とてもいい言葉だと思います」と航一さんは話す。
※里親家庭を大きくした事業。里親や乳児院・児童養護施設職員経験者の自宅等で補助者も雇い、より多くのこどもを養育する。
航一さんが慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に託されたのは、3歳のとき。病院から児童相談所での一時保護を経て、宮津家に迎えられた。夫妻はその年に養育里親に登録したばかりで、航一さんは宮津家に委託されたひとり目のこどもだ。実子は5人で、末っ子は当時高校生。美光さんは航一さんを膝の上に乗せ、「もう心配せんでよかけんね」と優しく、そして温かく迎えた。
「はじめはなかなか甘えられなかったようです。転んでも泣かず、父が参加する地域の集まりに連れて行かれた時は、隅の方に座って指しゃぶりをしていたそうです。僕は覚えていませんが、多少は寂しい思いがあったんでしょうね。いい子に見られようとして、甘えられなかったのだと思います」
そんな中、美光さんは妻やこどもたちにある提案をする。家族全員、1日3回は航一さんを抱っこすることだった。
「ひとり3回抱っこしてくれるので、僕は1日で何十回と抱っこされたんです(笑)」
航一さんはこうした愛情を受け、「自分を家族として認めてくれている」と感じるように。年1回、宮津家に委託されている他のこどもも交えて大型車で長野や新潟、鳥取など各地を旅したことも、家族の絆を深める大切な時間となった。
生みの母への、両親の誓いの言葉
美光さんとみどりさんは航一さんが幼い頃から、生い立ちについて包み隠さず、分かる範囲で伝えてきたという。里親や特別養子縁組家庭が経験することになる、「真実告知」というステップだ。小学校低学年の自分の生い立ちを振り返る授業では、航一さんはみどりさんと一緒に赤ちゃん時代を想像しながら、ページを埋めていった。
「周りのみんなは振り返って書けるのに、僕は分からないから書けない。家には僕の他にも委託されたこどもがいて、それが“当たり前”だったので、(同級生の)違う“当たり前”に接したときはいろいろ考えました。お母さんのこと、なんで分からないんだろう、どんな人だったんだろう」と、当時はこどもながらもやもやした気持ちを抱えていた。
航一さんが生後5カ月のときに生みの母が交通事故で亡くなっていたことを知らされたのは、小学2年生のとき。その年の夏、航一さんは美光さんに連れられて、東日本にある生みの母の墓参りに行った。
「亡くなっていたにせよ、いままでわからなかったことがわかってうれしかった。父と一緒に情報を求めてまちを歩く中で、わからなかった部分がパズルのピースのように埋まっていったような感じがしました。両親が積極的に協力してくれた安心感もありました」
美光さんは生みの母の墓に「航一君は私たちがしっかり育てます。心配しなくていいですよ」と告げた。航一さんは、墓のそばにあった石をいくつか拾って持ち帰り、半分を熊本の納骨堂に納め、もう半分を自分の部屋に置いている。そして、生みの母の写真も手に入れることが叶った。
自分を守ってくれた、家族の絆
航一さんが、“家族”を強く感じた出来事がある。小学生のとき、数人で下校中、体格の良い児童がハンディキャップを抱えた児童に自分のランドセルを持たせたことがあった。そのことを美光さんに相談した航一さんは、ランドセルを持たせた児童に注意した。すると、その児童から「いじめられた」と聞いた母親が、宮津家に電話してきたのだった。
「電話に出た母は相手から『航一君は親がおらんけん、そういうことをするんでしょう』と言われました。すると、いつも優しい母が僕の目の前で、泣きながら『うちの子はそんな子ではありません』と怒って。血はつながっていないけれど、自分のこどもだと思ってくれているんだな、僕を守ってくれたんだな、と絆を感じました」
また中学生時代、ある教諭と行き違いがあり、2週間ほど不当な扱いを受けたときのこと。航一さんは家族に言わずに耐えていたが、あるとき学校に来た美光さんが、友人たちから航一さんの状況を聞くことに。美光さんは怒り、すぐさま校長に直談判した。
「父が校長先生に掛け合って闘ってくれたことで、最終的には不適切な対応もなくなりました。父が僕の味方でいて、守ってくれたことに『これが家族なんだ』と思いました」
美光さんは航一さんに「家族というのは、血がつながっているということではなくて、“最後まで味方”でいることだ。何があっても、“最後まで味方”でいるのが家族だ」と話していた。そして、それを行動で示してくれたことで、航一さんはより“家族”を感じることになった。
養子縁組で「親子だ」と胸を張れるように
宮津さん夫妻は「いずれは養子縁組をしよう」と考え、中学校に入学するタイミングで航一さんに伝えていた。「早い方がよいのでは」との考えもあったが、ひとまず高校卒業まで待つことにしていた。
「学校では通称として宮津の姓を名乗っていましたが、うちが里親家庭だということは知られていたため、友人から生い立ちについて聞かれることもありました。そこで『ちゃんとした親子ばい』と答えるときに少し引っかかりもありました」
そして高校2年生のとき美光さんが脳梗塞を患ったこともあり、養子縁組の手続きを高校卒業を待たずに進めることに。家族として宮津家で一緒に育った兄たちも歓迎してくれた。家庭裁判所から普通養子縁組の許可が下りたのは、2020年12月25日のことだった。
「クリスマスプレゼントだと思いましたし、本当にうれしかったですね。養子縁組することにより形式的にも親子と認められて、胸を張って周りに『親子だぞ』と言えるようになりました」
高校3年生になった航一さんは2021年6月、熊本市で「ふるさと元気こども食堂」を始めた。これも、幼いころからボランティア活動をし、愛情いっぱいに自分を育ててくれた両親の姿を見てきたから。そして世の中で起こるこどもに関する事件や事故、コロナ禍でこどもの居場所がなくなっていることも決断を後押しした。宮津さん夫妻も協力し、現在は月1回、「こども食堂」を開催している。
「僕の経験から、こどもの成長には親だけではなくて、周りに自分のことを見てくれる、知ってくれている大人がいることが大事だと感じています。『こども食堂』を通じてこどもとおばあちゃんといった世代間の交流の場や、地域がつながる場ができてほしいと思っています」
「こうのとりのゆりかご」を自分から伝えたい
航一さんはこれまで、自分のなかに3つの壁があると思っていたという。「里親家庭で育っていること」「『こうのとりのゆりかご』に預けられていたこと」「実母が亡くなっていること」だ。しかし、高校を卒業した2022年春から、実名で自身の生い立ちや思いを語り始めた。
「ずっと自分のことを話したい、伝えたいと思っていました。『こうのとりのゆりかご』のこともいろいろ言われていますが、当事者はあまり表に出てこきませんし、その声もなかなか拾われません。誰かに切り取られた事実ではなく、自分の言葉で話したかった。『こうのとりのゆりかご』に預けられたこどもは161人 (2021年度末時点)いますし、里親家庭で育つこどもも、養子縁組をしたこどももたくさんいます。そんなこどもたちに『自分だけではない』『周りからの理解も得られる』ということをひとつの事例として伝えたかったんです」
まわりの大人も、友人もこの活動を応援してくれている。そしていま、航一さんは自身の生い立ちをしっかりと受け止め、発信している。
「僕は『置かれた場所で咲きなさい』という言葉が好きで。置かれた場所を自分自身で理解して、悲観せずに前を向いて進んでいくしかない、と思っています」
理解するという姿勢もこどものためになる
実名での公表をきっかけに、「こうのとりのゆりかご」の出身者や養子縁組の当事者などとのつながりも広がっている。航一さんは普通養子縁組にしろ、実子と同じ親子関係を結ぶ特別養子縁組にしろ、血縁にとらわれない親子関係を築くためには「お互いに正直に話す」ことが大切だと考えている。
「本当のことを伝え合い、話し合う。うそはいずれわかるものですし、隠しきれません。こどものためを思って隠したいことでも、養親だけで判断せず、こどもと一緒に考えて乗り越えていくことで本当の信頼関係が築けるのではないでしょうか。僕は養子縁組で自分だけの『お父さん』『お母さん』と呼べる人ができ、家庭的な環境で育つことができて、本当に感謝しています。養子縁組はとてもいい制度であり、家族のひとつの形です」
そして、特別養子縁組をはじめとした実家庭で暮らせないこどもの幸せを考える制度に興味があるけれど、ためらっている人にはこう伝えたいという。
「こどものためになるから、ぜひ考えてほしいと思っています。そこまで踏み込めない場合は、まずは制度に理解を示してもらい、当事者に関わって一緒に歩いていく、ということだけでもしてみてほしいです。僕もいろいろな葛藤や悩みがありましたが、周りの人との関わりで救われた部分もあります。周りの人が理解してくれるだけでも、こどもの成長に良い影響があるのではないでしょうか」
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