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体験談を読む

養子縁組で結ばれた「妹」との物語
家族を考えるきっかけになればいい

産婦人科医師

三輪綾子さん

産婦人科医・三輪綾子さんには、養子縁組で家族となった“妹”がいます。三輪さんが初めて“妹”と出会ったのは15年前、“妹”が4歳のとき。三輪さんの母と、当時同居していた実妹が里親登録をして迎え入れたのが彼女でした。その後、三輪さんが実家に戻ってからは自身も里親として彼女と暮らすように。そして、彼女が18歳となったのを機に、三輪さんの母は彼女と普通養子縁組をすることになりました。三輪さんはいま医師として不妊治療中の夫婦に向き合うなか、幼いこどもを我が家に迎え入れた経験を語ることもあるといいます。三輪さん一家が歩んできた道のりについてうかがいました。

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「里親になりたい」という母の決意

「もう一人、こどもを育ててみたいと思っているんだよね」
三輪綾子さんの母が、「里親になりたい」という気持ちを打ち明けてきたのは大学生のころ。医大生だった三輪さんが東京の実家を離れ、北海道で暮らしているときだった。
愛情深く、一度決めたことは何があろうとやり遂げる母。再び一から子育てをすることに「体力的に大丈夫だろうか」と心配はあったものの、血縁関係のないこどもを受け入れることに、三輪さん自身、戸惑いはなかったという。

「小学生の頃に2年半ほど暮らした米国では、白人の夫婦がアジア系のこどもを育てていたり、アフリカ系のこどもと一緒に暮らしていたりと、ルーツも人種も異なる人々が一つの家族としてごくごく自然に存在していました。近所にそうしたご家庭が多かったことから、『家族に決まった“形式”は必要ないのではないか』と考えるようになっていました」

「宝物」が我が家に

母が人生の大きな決断をしたとき、三輪さんは実家を離れていたことから、まずは母と妹の二人が里親登録することに。
児童相談所から連絡があり、迎え入れたのが同年代のこどもよりも体がひと回り小さい、ぽつんとたたずむ当時4歳の女の子。入所していた施設のスタッフも、「早くこの子に家族を見つけてあげたい」と動いてくれていたらしく、三輪さん一家と出会うまでにいくつかの家庭で数日間のトライアルをしてマッチングを試みていたという。そうして、一番しっくり来たのが三輪さんの母と妹が暮らす家だった。

「人と人なので、相性というものもあるのかもしれません。我が家に小さな女の子がいる。その光景を見て、『まるで宝物だな』と感じたことを覚えています。とても“大切なもの”を預かっているんだ、という感覚がありました」

家にやってきたころの彼女は、偏食で同じものばかりを食べていたり、用意したベッドでなかなか寝ようとせず、座布団の上で寝たり。わがままを言いたい年頃のはずなのに、不平不満をぶつけてくることもない。「自分を抑制しているのではないか、と心配になったこともあります」。彼女が新しい家族に心を開き、「ここは自分の家だと思ってくれている」と確信を持てるようになるまでには、1年近くの時間を要した。次第に、彼女も三輪さんの母のことを「ママ」と、三輪さんのことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていった。

三輪さんは、彼女が幼いころは母の相談役となり、成長してからは頼れるお姉さんとして一緒に勉強をしたり、やりたいことに対しアドバイスしたりと、今度は彼女の相談役となった。必ずしも「父親」や「母親」といった決まった形の役割分担がなくとも、ちょうどよい具合の関わり方ができる存在がいれば家族は成り立つもの。改めてそう感じるようになっていった。

何があろうと愛情はぶれない

三輪さんと母、妹の間で大切にしていたことがある。それは、「何があろうと愛情を曇らせない」ということ。里親認定前研修では、自分が愛されているかどうかの不安からこどもが里親を試すことがある、という話も聞いた。

「自分に向けられている愛情が本物かどうか確認したい、という思いから、関係性を揺らしにかかろうとすることもある、と聞きました。彼女自身はしっかりした子で、反抗期もありませんでしたが、たとえそんな日が来たとしても自分たちはぶれずに一定でいよう、と三人で話していました」

生みの親が別にいる、という事実も包み隠さず話してきた。「生みの親に会いたい」と言えば、躊躇なく会う機会を設けた。幼いころは何度か生みの親と対面したが、次第に「会いたい」とは口にしなくなっていった。
「感覚的なものですが、彼女のなかで私たちのことも『自分の家族』なんだ、という感覚になったのではないか、と感じました」

大学進学を機に養子縁組へ

彼女が10代になり、「将来どうするの?」と尋ねてみたことがある。すると、「医学部かな」と呟くような声が返ってきた。三輪さんは産婦人科医となり、実の妹も小児科医となっていた。三輪さんの母の家から進学校に通い、周囲に医者を目指す人が多かったことも大きいが、彼女が自分と同じ道を選んでくれたことは素直にうれしかった。三輪さんの母も、彼女のために毎朝弁当をつくり、仕事から帰宅しては夕飯を準備し、塾へ送迎。夜食の用意もして支えた。

彼女が大学に進むことになった2019年、将来、医師免許を取ることになったときのことを考えて、戸籍上の姓をどうするのか、今後どのように生きていきたいか、彼女に改めて聞く機会を設けた。

「何もかも私たちが決めるのではなく、ちゃんと自分の人生を歩んでいってほしかった。そのためには、18歳を超えたら彼女の意思を確認する必要があると思っていました」

4歳で迎え入れた当初は母と実妹でしていた里親登録も、実妹が結婚し家を出てからは母と三輪さんの二人での登録になっていた。そして、今度は三輪さんの母を養親として、普通養子縁組をすることに決めた。「普通養子縁組をすることになったのは、自然な流れでした。関係性も変わらない。生みの親が別にいるだけで、自分たちのことを“普通の家族”だと思っているはず」と三輪さんは言う。

「珍しいケースであるがゆえ、社会の風当たりなどを心配したこともありましたが、生き生きと自由に羽ばたく姿をとても誇らしく思っています」

彼女自身、生い立ちを隠そうとするようなこともなかった。それは「生まれたときの状況は少し特殊かもしれないけれど、いまは普通の家族だ」と意識的に伝え続けていたからではないか、と三輪さんは振り返る。

実子を持つことと並行して養子縁組という選択肢も

彼女も大学生となったいま、産婦人科医でもある三輪さんは自身の経験を積極的に発信している。「家族で里親をしていました」と口にすると、「もっと話を聞きたいです」と言われることが多いからだ。かつて働いていた不妊治療専門クリニックでは、「これで授かれなかったら特別養子縁組を考えようと思う」と話す夫婦に、彼女との物語を共有するようにしていた。

「不妊治療に取り組んでいらっしゃるご夫婦は、皆さん本当に温かく、『このお二人のところにこどもがやってきたらすごく素敵だろうな』と感じることが多かったです。その愛情を必要としている赤ちゃんやこどもたちに向けてほしい、という思いを強く持っていました」

不妊治療を長く続けていると、心も体も疲弊していく。けれども、特別養子縁組をはじめこどもを迎え入れる制度のことを考えることで、「我が家にも、かわいいこどもがやってくる可能性があるかもしれない」と夫婦が前向きな気持ちになれる。そんな瞬間を何度となく目にしてきた。せっかく夫婦が頑張って続けてきた不妊治療の意志を折ることになってしまわないかと、医師としては言い出すタイミングには気を遣う。だが、岐路にある夫婦に新たな選択肢の存在を伝えることで、ポジティブな変化をもたらすこともできるのだという。

三輪さんは「自分たちのこどもを授からなかったら養子縁組を考える」のではなく、自分たちのこどもを持つことを考えながら、並行して養子縁組を視野に入れてもいいのではないか。そう発信している。

普通養子縁組と特別養子縁組の大きな違いは、前者が実親との親子関係が維持されたままであるのに対し、後者は養子縁組後、実親とは法律上の親子関係が消滅するということ。不妊治療を通して出会った夫婦は、特別養子縁組を考える夫婦が圧倒的に多いという。

「もちろん、こども本人が何を望むのかを考えることは大切ですし、生みの親との縁を切るということについて考えることはあります。でも、将来的なことを考えると、赤ちゃんのときから法律上も実の親子と同様でいられる特別養子縁組がしっくりと来ているのではないか、と思います」

三輪さんの“妹”が医学部を目指すようになったのも、きっと三輪さん一家という“環境”があったからだ。こどもが持つ能力を生かせる環境を提供できるのも、家庭に迎え入れる養子縁組の大きな意義ではないか、と考えている。

「彼女のことを『他人だ』と思ったことは一度もないんです」。そう三輪さんは断言する。

「患者さんと接していると、自分のこどもではない子を育てることに恐怖心を抱いているように思う方もいらっしゃいます。けれど、自分の子であっても、どんな子が生まれてくるかなんて誰にもわからない。『自分が産んだこどもではない』という事実は、どれだけの重みがあるのだろう、とよく考えるんです」

実際にこどもを迎え入れて育て上げた三輪さん一家の体験談に触れたことで、自分たちも一歩踏み出して積極的に考えてみようか、そう前向きになる患者夫婦も多いという。血のつながりだけに固執する必要はない。三輪さんは、制度について目を向け始めたカップルに、こう伝えるという。

「我が家は養子縁組をして、普通の家族と何も変わらなかったですよ、生活のなかで『自分たちと血がつながっていないんだ』と思うこともないですよ、と。夫婦はそもそも全く血がつながっていないのに家族になれるのだから、親子だって当然なれるはず。心配する必要は、全くないんですから」

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PROFILE
三輪綾子(みわ・あやこ)/1984年、東京都生まれ。産婦人科専門医。「THIRD CLINIC GINZA(サードクリニック銀座)」院長。一般社団法人予防医療普及協会理事。女性のQOL(生活の質)向上を目指し、女性の健康についての経営者向けセミナーを行うなど、働く女性の健康をサポートする「Qプロジェクト」のリーダーも務めている。
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