体験談を読む
“あーちゃん”にパパとママが伝えたいこと
養親インタビュー
近藤さん一家

特別養子縁組に興味を持ったものの、実情がわからなくて一歩を踏み出せないケースがあるかもしれません。“あーちゃん”を養子に迎えた関東在住の近藤大輔さん(仮名、37)、麻衣さん(仮名、28)夫妻も、身近に経験した人がいなくて苦労したそうです。どうやって情報を集めたのか、壁や不安をどう克服したのかなど、体験談を話していただきました。
あーちゃんは、とてもよく食べる男の子。ごはんを残さずに平らげた後も、近所の人にもらったさつまいもをパクパク。元気に走り回って、転んでもすぐに起き上がります。たくさん食べて、たくさん遊ぶ。1歳4カ月を迎え、少しずつ「ママ」「パパ」と言えるようになりました。
「動物とか年下の子にも、すごく優しい子で。私の友達の赤ちゃんに会うと、顔をスリスリしたり、ヨシヨシしてあげたり」(麻衣さん)
「散歩している犬に自分から近づいてチューしたりして。本当に優しいよね」(大輔さん)
不妊治療を経て、特別養子縁組を選んだ理由
近藤さん夫婦が特別養子縁組を考え始めたのは、2014年に結婚して、数年たってから。そろそろこどもが欲しいねと話していましたが、授かる気配はありませんでした。10代の頃に産婦人科で「排卵していない」と診断された麻衣さんは、自分が妊娠できない体質なのかもしれないと思い、養子を迎える選択肢があることも知りました。でも当時は、まさか自分がその当事者になるとは思ってもいませんでした。
不妊治療を試しているうち、大輔さんは、精液に精子がない「無精子症」であることが判明しました。精巣から精子を直接取り出す手術を受けるため、専門医がいる九州の病院へ。しかし、精子の細胞は見つからず、結果を聞いて麻衣さんは人目をはばからず号泣しました。でも、下を向くのはそこまで。帰りの空港、気持ちを切り替えて特別養子縁組のことを調べる麻衣さんの姿がありました。

養子縁組でこどもを迎えるのか、非配偶者間人工授精(AID)を受けるのか、それとも2人だけの人生を送るのか。さまざまな選択肢の中で、夫婦が選んだのは、特別養子縁組の道でした。
「妻がこどもを欲しがっているのを知っていたので、精子がないと分かったとき、『別れてもいいんだよ』と言ったんです。でも妻は諦めずに特別養子縁組のことを調べて、いろいろと教えてくれました」(大輔さん)
「私がこの人と結婚したのは、やっぱり好きで、一緒にいたかったから。自分が産んだこどもが欲しいとかではなく、彼と家庭をつくり、こどもを育てたいと思いました。そのためには、特別養子縁組がいちばんいいと思ったんです」(麻衣さん)
「#特別養子縁組」から生まれたつながり
身近に相談できる人が少ない特別養子縁組は、情報収集も難しいと思われがちです。麻衣さんが活用したのが、インスタグラムなどのSNS。「#特別養子縁組」のハッシュタグで検索して、実際に特別養子縁組をしている人にコメントやDMを送り、いろんなことを教えてもらいました。現在も交流は続いていて、ママ同士でいつか会いたいと思っているそうです。

支援団体にも積極的に問い合わせ、イベントがあれば夫婦で参加しました。2019年3月、東京で開かれた特別養子縁組の啓発イベントで活動報告をした団体に、縁組のあっせんを申し込もうと決意。選んだ理由は、自分たち養親だけでなく、こどもを産んだ実母へのケアもしっかりしている、という点でした。
「周りに同じ人がいないと、『悩んでいるのは自分だけ』みたいな孤独感があります。だからSNSで交流したり、イベントや団体の集まりで特別養子縁組をした人に会ったりすると、ホッとするんですよ。悩んでいる人は、まずそういう人の話を聞けば、前に進めると思います」(麻衣さん)
夫婦の間でも、不安に思っていることを話し合いました。ちゃんと育てられるのか、友人にどう言おうか。いろんな本音を2人でぶつけあい、養子を迎える準備を進めます。双方の親はもちろん、最初はビックリしていた友人たちも応援してくれました。
年齢に関係なく、若い人でも特別養子縁組を選択肢に入れてほしいと麻衣さんは言います。
「不妊治療を受ける人は増えていますが、産婦人科でも特別養子縁組について知る機会があれば、もっと制度を利用する人が増えるんじゃないかなと思います」(麻衣さん)
正式な親子になるまでの、不安と支え
生後10日のあーちゃんを迎えたのは、2019年8月。羽田空港の到着ロビーで、初めて抱いた瞬間の感動は忘れることができません。麻衣さんは「本当にこの子と家族になるんだな」と言葉にできない感情がわき上がりました。みんなで我が家に帰って、初めて使うベビーベッドでおむつを替えようとすると、あーちゃんは勢いよくうんちをして、元気いっぱいでした。
初めての子育てはどんな家族でも大変です。大輔さんも積極的にミルクをつくって飲ませてあげています。

ずっと待っていたこどもを迎え、幸せを実感する一方で、麻衣さんは今までなかった心配を抱えるようになりました。
「いつかこの子が連れていかれるんじゃないかって。裁判所の審判がずっと続いていたから、長かったです。情緒が安定しなくて、自分が爆発して泣き出すんじゃないかと思っていました」(麻衣さん)
特別養子縁組制度では、こどもを迎えた時点では、正式な親子ではありません。家庭裁判所に申し立てて、6カ月以上の試験養育期間を経て、ようやく戸籍上も正式な親子と認められるのです。あーちゃんとの思い出は増えていくけど、病院の診察で証明書が必要になるたびに「戸籍上はまだ親子じゃないんだ」と実感しました。
「お世話になった団体は実親の支援に力を入れているので『(縁組が成立しなかったケースは)1件もないそうだよ。大丈夫だよ』と妻に言い聞かせていました。弁護士やいろんな方に相談して支えられましたね」(大輔さん)

2020年春、特別養子縁組が成立。名実ともにあーちゃんとは親子になり、麻衣さんの不安の日々も、ようやく終わりました。すくすくと成長したあーちゃんは、2歳のお兄ちゃんのマルチーズ「マル」、12歳のおばあちゃんチワワミックス「ノア」と、元気に遊ぶ毎日。この幸せがずっと続けばいい。大輔さんはそう実感しています。
何でも言い合えるような家族に
いつかは、あーちゃんに自分を生んだ親のことを、話すときが来ます。
「聞かれたら自然に答えようねと、2人でよく話しています。その瞬間に空気がピキーンとならないように(笑)」(麻衣さん)
「私が自分の母親だけでなく、妻の母親も『お母さん』と呼ぶように、あーちゃんにも『お母さん』が2人いる。それって実は、特別でとっても幸せなことなんだよねって伝えたいです」(大輔さん)
あーちゃんが大きくなり、麻衣さんは2人目の特別養子縁組を迎えたいと思っています。悩みごとを相談できるきょうだいがいて、みんなでワイワイ意見を何でも言い合えるような家。それが、近藤家が理想としている家族です。
将来は、あーちゃんがやりたいことを、親としてできるだけ応援したいと考えています。だから今は、いろんな経験をしてほしい。コロナ禍のため遠くへの旅行は難しいですが、キャンプに行くと、あーちゃんは泥だらけになってずっと遊んでいます。
最後に、大輔さんが今回のインタビューに答えてくれたわけを話してくれました。まだまだ浸透していない特別養子縁組制度を、「選択肢の一つ」として世の中に知ってほしいというほかにも、理由がありました。
「こうして(記事に)載ることで、きちんとあーちゃんに伝えられると思いました。私たちがどうやって彼を迎えたのか、理解してもらえるのではないかと」(大輔さん)
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