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体験談を読む

一日一日の積み重ねで、家族になっていく。
特別養子縁組で母になる

タレント・女優

武内由紀子さん

タレント・女優の武内由紀子さんの夫婦は2年半前、「特別養子縁組制度」で男の子を迎えることになりました。さまざまな事情で生みの親のもとを離れざるをえなかったこどもを、家族に迎え入れて実子として育てるこの制度は、まだ世の中にそれほど浸透していません。そこで、養親になった理由や経緯、悩んだことなどを語っていただき、「新しい家族のかたちとは何か」を一緒に考えました。

「こどもを育てることは、諦めていない」

――不妊治療を経て、特別養子縁組を決断されたそうですね。

私が37歳のときに夫にプロポーズされて、最初に考えたのが年齢のこと。目の前に40歳が迫っていて、ちょっと焦って妊活を始めたんですよ。私も主人も、家族をつくりたいという思いがすごくあったので。

1年経ち、2年経ち、すぐできると思っていたのが、なかなか授からなくて。籍を入れるタイミングも分からない間に、私が40歳の誕生日を迎えて、ちゃんと結婚しようと思い、籍を入れたんです。そしてすぐに、不妊治療を始めました。結婚していると、体外受精や顕微授精が受けられるんです。

2回目の不妊治療で着床したんですけど、7週目で流産してしまって。そこからが長くて、治療してもなかなか妊娠には至りませんでした。

――体力的にも精神的にもつらかったのでは?

いつかはお母さんになれると思って、前向きに治療を続けているつもりでした。ところが、1年ぐらいしたら、街に出ると「赤ちゃんがいます」のマタニティマークが目につくようになるんですよ。今まで気にしていなかったのに、妊婦さんやこどもを連れている人を見ると悲しくなってしまって。

そこからまた1年経つと、今度は「無」になるんですよね。治療して「ダメでした」って言われても、泣くこともできずに「あー、そうですよね」って、心の痛みすら感じなくなったんです。

不妊治療を続けていたときは、「なんで私は妊娠できないんだろう」と、おなかの中が空っぽなイメージだったそう

――その頃は養子縁組のことは意識されていましたか?

養子という選択肢があるのは知っていましたが、当時は考えていませんでした。こどもは欲しいけれど、主人とのこどもを産みたいという気持ちがあったので。もしできなかったとしても、二人でずっと人生を過ごしたいなと、そのときは思っていました。

――44歳で不妊治療を断念され、特別養子縁組をしようと思われたきっかけは?

本当は45歳まで不妊治療を続けようと思っていたんですよ。でも20回ぐらい採卵して、移植も8回ぐらいしても妊娠できなくて。これ以上続けても結果は同じだろうなというのが頭にふとよぎって、これで最後の治療にしようと夫婦で決めたんですよ。それで、結果を聞きに病院へ行ったら、やっぱりダメでした。あぁ、7年間妊娠のことだけを考えて生きてきたんだけど、ようやく終わったんだなって。

病院で会計を待っていたとき、なぜか携帯電話で特別養子縁組のことをずっと調べていました。自分でも不思議なんですけど。私は妊娠してこどもを産むことは諦めがついたんだけど、こどもを育てることはまだ諦めていないんだなって、気づきました。

最後の治療を終えた後の心境をたずねると、「そこからはスイッチがパチンと切り替わって、特別養子縁組の道に進もうって決心しました」と明るく話してくださいました

「どんな子が来ても迎え入れたい」

――さまざまな選択肢の中で、特別養子縁組を選ばれたんですね。

実母さんがこどもを育てることができなくて、そのこどもを迎えて育てていく家庭があるんだってことを、あらためて知りました。私はこどもと生涯の家族になりたくて。そこで、血のつながりがなくても戸籍上は他の家族と変わらない、簡単には切れない関係になる特別養子縁組を選びました。

――養子を迎えることへの不安は?

どんな子が来るかわからないとか、男女もわからないとか、血がつながっていないとかは、「そういうのをひっくるめて、どんな子が来ても迎え入れたい」と思っていて、不安はありませんでした。

主人は主人で不安を抱えていて、たとえば難しい病気の子が来たときに、この子がいなかったら治療費とかで苦労せずに済んだのにと思ってしまうんじゃないか、と心配していたみたいです。それを聞いて、「もし私が大きな病気になったとしたら、私と結婚しなかったほうが良かったと思うの?」と言ったら、主人は「思わない。」と即答したので、「それと一緒だと思うよ」と伝えて。それからは、夫婦でこどもを迎え入れるという覚悟ができました。

――周りの人にはどんな相談をしましたか?

特別養子縁組には、夫婦のお互いの親の許可も必要でした。3人の子がいる姉には「実のこどもでも子育ては大変なのに、簡単に考えているんじゃないか?」 と言われましたが、私の思いを一生懸命伝えたら、納得してくれました。主人のお父さんは「将来、一緒に話ができるこどもがいるのはすごく大切だよ」と言ってくれて、お母さんからも応援する言葉をいただきました。

養子を迎えることへの不安について、「成長するこどもをちゃんと受け入れる技量があるのかなとか、自分自身への不安はありましたが、養子を迎えることへの不安はなかった」

「親の愛情をもらって育つことはすごく大事」

――当時は養親の年齢制限で苦労されたとか。

いろいろ調べてみたら、こどもと親の年齢差は40~45歳ぐらいが望ましいとされていて。民間あっせん機関の中には40歳や43歳までなどの年齢制限があって、44歳の私が申し込める団体が限られてしまい、すごく焦りました。今は法律も改正され、状況は少しずつ変わってきています。

――国のガイドラインで年齢差の項目が削除され、40代以上のご夫婦にも特別養子縁組という道がさらに開かれたと言えますね。

40代以上でもそういう選択肢があることは、すごくうれしいことです。特別養子縁組の年齢制限があるからという理由で、不妊治療を諦めた人もいたかもしれません。不妊治療や養子縁組、いろんな選択肢があるということが大事だと思うんです。

――養子の年齢の条件も、今年4月の法改正で原則6歳未満から原則15歳未満へと引き上げられました。

それもすごく良かったなと思います。10代はまだまだこどもですよね。やっぱり親がいる家庭で愛情をいっぱいもらって育つということは、すごく大事な気がするんです。もっともっと特別養子縁組が広まって、こどもを迎える家族が増えたらいいのになと思います。

親の愛情をもらって育つことの重要性について、「こどもにとって甘えられる場所はちゃんとあったほうがいいし、不安を感じずに大人になっていけたらいいなと思う」とも

「この子は、ずっと抱っこしててもいいんだ」

――特別養子縁組を決断されてから、実際にお子さんを迎えるまではどれぐらいの期間がありましたか?

10カ月ほどでした。養親になるのに必要な研修を夫婦で受けて、全部クリアしたら養親候補として本登録という形になります。その後は連絡を待つことになるんですけど、私たちは本登録してから半年ほど経ったときに連絡をもらいました。登録してすぐ連絡が来る人もいれば、1年、2年も待っている人もいます。こどもがどこで暮らせば幸せなのかを考えてマッチングしていただいているんですけど、やっぱりその間はすごく待ち遠しくて。連絡が来るまでの半年間は、まだかなぁ、まだかなぁと思っていました。

――事前に男の子と女の子の名前の希望を提出するそうですね。

私がお世話になった団体はそうでしたが、団体によってそれぞれケースは違うと思います。名前の希望を出して、実親さんに選んだいただく場合もあれば、実親さんが名前を付ける場合もありますね。ある日突然、団体の方から電話があって「○○が生まれたよ~!」って、希望を出していた男の子の名前で言われて。いよいよ赤ちゃんを迎えるんだ! 男の子なんだ! 名前は○○なんだ! いろいろな情報を一気に伝えられて、頭がいっぱいになりました。

――お子さんと対面されたときは、どんなことを覚えていますか?

会う前はすごく緊張していましたが、そのときの気持ちは「ついにきたー!」というか……。もう表現できないくらいの感じで。それまでも友達の赤ちゃんを抱っこさせてもらうことは何回も経験していたのに、抱っこした重みも全然違う。「うわー、この子がうちの子になるんだ、ずっと抱っこしててもいいんだ」って、本当に感無量で抱きしめていました。

2019年に養子へ迎えられたお子さんと公園へ。はじめて抱っこしたときは、「友達のこどもを少し抱っこしてみたときとは違って、この子はずーっとここにいていいんだ」と感無量だったそう
PROFILE
武内 由紀子(たけうち・ゆきこ)/タレント、女優。1973年、大阪市出身。93年にアイドルユニット「大阪パフォーマンスドール」のリーダーでデビュー。今田耕司、東野幸治とのユニット「WEST END×YUKI」による大阪弁ラップ「SO.YA.NA」がヒット。読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」や劇場「ルミネ the よしもと」などで活躍。2013年に7歳年下のパン職人の夫と結婚。19年3月に長男との特別養子縁組が成立した。吉本興業所属。
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