新連載・等身だいありー

【小澤陽子のMY CHOICE#1】迎えるライフステージの変化 「今年はしっかりと人生設計をする1年に!」

バラエティーや報道番組などで幅広く活躍するフジテレビアナウンサーの小澤陽子さん。昨年30歳を迎え、自身を見つめ直す機会が増えた――と話す小澤さんが、仕事やプライベート、今後のキャリアについて今、感じている率直な思いを語ります。お届けするのは毎月第2金曜日です。

遅まきながら新年あけましておめでとうございます。そしてtelling,読者のみなさん初めまして。フジテレビアナウンサーの小澤陽子と申します。
入社7年目の現在は「全力!脱力タイムズ」(金曜夜11時)でメインのアリタ哲平キャスターのサポートをしたり、競馬番組の「馬好王国」(土曜深夜1時15分)「BSスーパーKEIBA」(日曜昼3時)で進行をしたり、平日の「News イット!」(昼3時45分)の木曜のフィールドキャスターをしたりしています。そして冬のシーズンにはフィギュアスケートの中継も担当しています。

私自身の希望もあり、これまでも同じように幅広いジャンルを担当させていただいてきました。
そんな私ですが、高校生の頃まではアナウンサーというお仕事について、あまりよく分かっておらず、テレビに出る仕事というのは“特別な人がするもの”と思っていたのです。
転機は大学時代。アナウンサーの方と話す機会があり、テレビ局のアナウンサーは社員で、4年制大学に通った後でも、就職試験に通れば“なれる”と知りました。そこから本格的に目指すようになったのです。

原点は“知ってもらいたい”という思い?

ただ私の人生を振り返ってみると、この仕事に就いた原点は、1年間留学した高校時代にあるような気もしています。留学先はオーストラリアのクイーンズランド州の郊外で、通っていた学校に日本人は私だけ。日本のことをほとんど知らない人が多い中、同級生に知ってもらいたくて、日本についてたくさん話して……。そうこうするうちに同級生から「日本に行ってみたくなった」「日本人はいい人だね」と言ってもらえて、とても嬉しく思ったのです。この経験を経て発信したり、影響を与えたりすること、つまり“伝えること”が好きだと感じたんですよね。

ただ大学生になり、就職活動をする段階になったら、漠然と有名企業を受けようとしたり、同級生が受けている企業へ何となく応募してみようとしたりの自分がいました。“何をやりたいのか”がはっきりしていないと気づいた私は、そこで立ち止まりました。そして様々な学びを得るために多文化多民族国家のシンガポールでインターンシップを経験することにしたのです。就職は同級生から1年遅れることになりました。

「採用」の知らせに手が震えて・・・

旅行が大好きな私は、シンガポールで飛行機の機内誌をつくっている会社でインターンとして働いていたんですが、とても楽しく充実していて。そのときに「好きなことに携わって働くことこそが、最大のモチベーションになる」と気づきました。だから1年後の就職活動では“旅”に関する航空会社やホテル業界、“伝えること”が仕事のテレビ局のアナウンサーを受験したんです。航空会社では一般職と、せっかくの機会なのでパイロットも受けました。

昔からフジテレビの番組は大好きでしたが、リビングでのチャンネル権を握っているのは祖父。だから、祖父の目を盗んでこっそり、それでもしっかりと「ココリコミラクルタイプ」「めちゃ×2イケてるッ!」などのバラエティーや、「プライド」「やまとなでしこ」といったドラマを見ていました。アナウンサーでは「めざましテレビ」の生野陽子さんや加藤綾子さんの明るいトーンの声に朝から元気を貰っていましたね。

そしてご縁があり、フジテレビにアナウンサーとして採用していただけることに――。狭き門だというのは重々承知していたので、手が震えましたね。結果を電話で伝えられたカフェで手がブルブル震えていたことを今でも覚えています。その日は雨で傘が折れ、“風が強いお台場”を早々に実感したことも忘れられません。当時の私はメンタルが強いタイプではなくて、家族や友人からは「テレビの世界でやっていけるの?」という心配の声が大きかったですね。

放送に向けて準備をする小澤さん=提供

日々感じる“やりがい” 、そして刺激

一見華やかに見えますが、入社後は会社という組織の一員であると痛感して今に至ります。実際はアナウンス室に新聞を取ってきたり、水を汲んできたりという仕事も。
何より番組が放送されるまでは大変な作業です。放送時間が5分であっても、たくさんの人の努力の結集。伝え手であるアンカーとして、その責任を日々、感じています。自分の準備は当然として、制作の方々も本当に膨大な仕事量ですから。

やりがいも強く感じています。放送に対して事前に100個の準備をしても、様々な条件や制約がある中で、すべてアウトプットすることは到底できません。準備していた1、2個を現場で言えればいい方です。せっかく調べたデータを出せない悔しさもありますが、現場でのチームの一体感は楽しくて仕方がありません。それにアナウンサーになっていなかったら、行けない場所や会えない人を訪ねるといった経験はとても貴重で日々、刺激がたくさんありますね。

その時々に感じたことを等身大の言葉で!

2022年が幕を開けました。30代になって初めて迎えた新年。20代は1日1日をがむしゃらに生きてきましたが、今後は公私ともにライフステージの変化を迎えると思います。今年は長い目で見て、しっかりと人生設計をしなければ、と考えています。毎日を一生懸命生きているだけの状態から脱し、今の自分が置かれた立ち位置と、これからしたいことを、俯瞰して見られるようになるのが目標です。
入社7年目になり、仕事の全体像を把握したり、アナウンス室の若手に目配りしたりできるようにもなりました。やっとのことで、自分のことで精一杯だったのが、後輩に積極的に声掛けをしたり、アドバイスをしたり――。引き続き、後輩の不安を少しでも払拭できるようにしたいですね。

私も含めてtelling,世代の女性は、ライフステージが変化するにつれ、知人や友人が自分より一歩先に進んでいるように感じることがあると思います。実際には違っても、外形的にはそう見えることも多いですしね。私は色んな生き方があり、どんな問いに対しても正解は1つでは無いと考えています。だから、この連載「等身だいありー 小澤陽子のMY CHOICE」では、私がその時々に感じたことを等身大の言葉で語っていこうと思っています。みなさんが様々な選択をしていくうえで、“こういう考え方や選択肢もあるのだな”と少しでも参考にしていただけたら幸いです。

新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染拡大も懸念されています。寒い日が続きますので、みなさんどうぞご自愛ください。

横浜市生まれ。慶応大学環境情報学部卒業後の2015年、フジテレビに入社。現在はニュースバラエティー番組「全力!脱力タイムズ」や競馬番組「馬好王国」「BSスーパーKEIBA」、ニュース番組「Live News イット!」、フィギュアスケート中継などを担当。趣味は旅行や写真撮影など。
ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。
1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。
等身だいありー小澤陽子のMY CHOICE