「本音を話すより、愛せる距離感を探ることの方が大事」岸田奈美さんが考える“家族の距離感”(後編)

中学2年時に父親が突然死。高校1年時に母親が車いす生活になり、弟はダウン症――。会社員から作家へ転身した岸田奈美さん(29)は、「点」で見ると悲劇の出来事を、おもしろく楽しく「線」にして発信しています。岸田さんにとって、書く原動力になっている「家族」について聞きました。

“殺傷能力”の高い言葉を吐いた理由

――岸田さんのコラムからは、家族愛の温かさを感じます。その一方で、「家族」というのは愛憎劇が繰り広がりやすいと思います。

岸田奈美さん(以下、岸田): 本を出版した際のサイン会で、本当に多くの人から「親や障害のある兄弟を岸田さんみたいに愛せなくてつらい」、「家族を愛したいのに愛せない」という言葉をたくさんもらいます。

とっさに、その場で返す言葉が出なくて、サイン会の間ずっと考えていたのですが、最後の人に、同じ質問をされた時、やっと答えられたんです。

「家族を愛するっていうのは、愛せる距離を、お互いが心地よくいられる距離を、探ることです」って。

毎日いっしょにいるのは無理だけど、1泊2日だと仲良くなれる人もいますよね。家族の中でも、絶対連絡を取りたくない人や、いっしょにいると自分の嫌なところが見えてしまう人、もしくは、ずっとそばにいたい人もいると思います。その人によって、「心地よくいられる家族の距離」は違いますし、その距離感も日に日に変わるものだと思います。

――「毒親」という言葉があるように、親と心地の良い距離感を取るのは難しいこともあると思います。

岸田: 何かの記事で、「親孝行は会ってお礼を言わないといけない」とか「親に会えるのはお盆だけだとすると、一生のうちあと何回かしかないから会いに行け」という内容を見かけます。それも一理ありますが、その言葉に苦しめられている人も、けっこういると思っていて。

もし苦しんでいる人がいたら、「距離をとってもいいです」と伝えたい。完全に縁を切ってしまうことも、あると思います。

親子だから出てくる言葉は、本音ではないこともあります。「ここまで育てた恩を忘れたのか!」という言葉を聞くことがありますが、このつらさや悔しさをわかってほしくて「恩」という、一番心を傷つける言葉を使っているのではないでしょうか。

――岸田さんも、そのような経験がありますか?

岸田: あります。これは、つらすぎる出来事だったので、まだ自分の中で消化できず、これまで表には書いていないことです。

私は高校生の時、母に「お父さんじゃなくて、お母さんが死ねばよかった!」と言ってしまいました。

父と私は性格が似ていたので、私がやりたいこと、言いたいことを全部わかってくれたのに、母は真面目で心配性だから「私のことわかってくれないんでしょ!」という気持ちが爆発しました。

でも、母は私のことをちゃんとわかってくれていたんです。「あれは本音じゃないとわかっていた」と、最近母に言われました。「お母さんが死ねばよかった!」という言葉は本音ではなく、心の中にあるつらさ、苦しさをわかってほしいがために、一番“殺傷能力”の高い言葉を吐いたんです。

本音を話すのは大事と言われますが、本音を話すより、愛せる距離感を探ることの方が大事だと、私は思います。

「死にたい」と言うことが大事だった

――最近、芸能人の自殺が相次ぎました。岸田さんご自身、とてもつらい経験をされてきた中で、どのようにここまで立ち直ってきたか教えていただけますか。

岸田: 私も家族も、死にたいほどつらい経験をしてきましたが、誰も本当に心から「死にたい」って思ったことはないんです。車いす生活になった母が「ずっと死にたいって思ってた」と言った時、私が「死んでもいいよ」と言ったら、母は死にたくなくなった。

彼女の本音は「死にたい」ではなかったんですね。「子どもに何もしてあげられない。私はモノといっしょで自分に価値を見出せないことがつらい」という気持ちを相手にわかってもらうために、極端な言葉を使うしかなくて、「死にたい」と言ったのです。

彼女にとって、「死にたい」と言うことが大事だったのです。そのくらいつらい思いをした。「死にたい」と口では言っても、動機は「死にたい」ではないと思っていて。

私は父が突然死んだこと、母が突然歩けなくなってしまったことへのどうしようもないつらさを受け入れるしかなかった。でも、ストレスの度合いが強すぎて、すぐには受け入れられず、時間が解決するしかありませんでした。

どんなに苦しいことも、つらいことも、時間が解決すると思っています。「許せない!」という言葉の強さも、1年前と10年前とでは違うと思いませんか。私たちは、悲しみが風化するまでの時間を耐えてきました。

その中で、少しでもいいこと、楽しいことを見つけていく。明日は今日よりもマシで、明後日は明日よりマシで、という具合に繰り返していたら、いつの間にか、なだらかな坂をのぼって、今になっていました。

私はつらい過去を乗り越えるために、無意識に忘れっぽい性格になっていたことに最近気づきました。最愛の父の死、しかもケンカ別れという1番つらい出来事を乗り越えるためには、理解するとか把握するとかではなく「忘れる」ことしか、当時の私にはできなかった。振り返ると、それは生存本能だったと思います。

今は、父の顔や声も忘れてしまっているのですが、それだけは嫌なので、思い出したくない出来事を、起こった順に書き留めているところです。

「人生を作品として出していきたい」

――岸田さんはこれからも文章を書いていくと思いますが、「もっといいものを作らないといけない」というプレッシャーを感じることはありませんか?

岸田: バズる記事を数回書いた後あたりから、「もっとおもしろいものを書かないといけない」いうプレッシャーはありましたね。

これまで、自分の身に降りかかった“人生にそう何度も起きない出来事”をもとに、記事をおもしろおかしく書いてきました。弟が万引きしたとか、1日に3回も同じキャッチにあったとか。でも、そういう稀有なことは人生で何度も起きないんですよね。

そうなると、日常で「何かおもしろいことは」、「何かトラブルが起きないか」と探すようになってしまいました。それを繰り返しているうちに、カルディに入っただけで目を回すようになってしまって(苦笑)。

――以前、岸田さんが所属されている「コルク」の代表・佐渡島庸平さんが「岸田さんにかかると日常が全て事件になる」とSNSで言われていたのが印象的でした。

岸田: 佐渡島さんから「トラブルを勢いで書くのも魅力だけど、日常の何気ないことに気づくのは岸田さんが思っているより繊細で新しい。そこに対して岸田さんの感情を丁寧に書くことはよろこばれるのでは」ということを言ってもらいました。

自分にとっても相手にとっても、少しでも価値のあるものを届けないと思う気持ちがあったら、何回書いてもいいということの気づき、そこからバズらなくても自分の気持ちを正直に書くようになりました。

見聞きしたこと、歩いて思ったことなどを全部スマートフォンに書き留めている

――「バズらなくてもいい」と思ったのはいつ頃ですか?

岸田: ガッツリ悩んだのは、今年3月頃です。ちょうど、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった時で、外出しなくなりました。家にいるだけだと、「トラブル」はあまり起こらないんですね。

そこで意識するようになったのが、「物語を作る練習」です。人は、物語に救われるし、傷つくこともあると思っています。「出来事」と「感情」から成り立っていて、その間に因果関係を結びつけていくのが物語です。

私は、「弟に障害があったから、うつ病の一歩手前になったときに救われた」、「お母さんが歩けないから楽しい家庭を担っている」と書いているのですが、それは本当かどうかわかりません。

私が勝手にそう認識しているだけで、人から見たら私は不幸かもしれないし、父が死に、母が車椅子生活になり、私は今でも大学の奨学金を払い続けないといけないと思うと、不幸の物語ですよね。

私は私を元気づけるために、幸せな物語を頭の中でいっぱい作っています。起こった事実を、どう捉えるかは私次第です。できるだけおもしろおかしく、自分を勇気付けられるような物語を書いています。

私は「作家」と名乗っています。小説家やライターという肩書きを使わないのは、文章を作品にしているのではなく、自分の人生や日常を作品にしているイメージがあるからです。「人生を作品として出していく」ことだけは、続けていこうと思っています。

●岸田奈美さんのプロフィール
作家。1991年、兵庫県神戸市生まれ。中学2年時に父が突然死し、高校1年時に母が心臓病の後遺症で車いす生活になった。5歳下の弟はダウン症。ウェブサイト「キナリ」主宰。初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を9月に出版。11月22〜23日に読書感想文の祭典「キナリ読書フェス」開催予定。

同志社大学文学部英文学科卒業。自動車メーカで生産管理、アパレルメーカーで店舗マネジメントを経験後、2015年にライターに転身。現在、週刊誌やウェブメディアなどで取材・執筆中。
熊本県出身。カメラマン土井武のアシスタントを経て2008年フリーランスに。 カタログ、雑誌、webなど様々な媒体で活動中。二児の母でお酒が大好き。