「ゴムつけて」と言えなかったあの日[小野美由紀]

望まない妊娠を事後的に防ぐための薬、緊急避妊薬(アフターピル)。諸外国では薬局で手に入れることができるものの、日本では現状医師による処方せんが必要です。報道によると、政府が処方せんなしで購入できる方針を固め、正式な計画を年内にまとめる予定だといいます。今回は作家の小野美由紀さんが長年のピルユーザーとして、ご自身の経験をふまえ、女性たちが自分で安心して避妊をコントロールできる必要性を綴ってくれました。

緊急避妊薬(アフターピル)の薬局での販売を政府が検討しているというニュースが少し前に入ってきた。
個人的にとても喜ばしい事である。
私がピルを飲み始めたのは大学生2年生、19歳の頃からだが、その時から「なぜ日本では薬局でピルが買えないんだろう?」と疑問だった。

世界的に見れば、緊急避妊ピルを薬局で買える国は多い。緊急用だけでなく、避妊薬自体を薬局で買える国もたくさんある。
ピルをもらうためには産婦人科に行き、検査を受けなければいけないが、当時はバイトや勉強でとても忙しく、数ヶ月に一度ピルをもらうためだけに産婦人科に行くのはとても大変だった。その上ピル自体がかなり高く、一回診察を受けて薬をもらうのに5000円ー7000円はかかり、お金のない大学生にはとても重荷で、決して勧められることではないが、海外に行った時にまとめ買いして帰ってくることもあった。
今はもうピルは飲んでいないけど、女性が避妊をコントロールする方法としては現在ある中ではかなり便利だし、もっと一般的に広まっていい手段だと感じている。

緊急避妊ピルの薬局販売については「悪用されたり、間違った方法で使用されるリスクがある」という意見もあり、それで難色を示している医師もいるが、私は悪用のリスクより、女性が避妊の失敗によって望まない妊娠をしたり、苦しんだりするリスクの方が現時点ではよほど大きいんじゃないか。

個人的な経験に照らし合わせても「避妊したかったけど(なんらかの理由で)できなかった」という事は、女性の人生の中で、誰しも起きえることだから。

今だから話せるが、一度、避妊に関してとても慌てた経験がある。

当時の私は26歳で、20歳の恋人と同居していた。
付き合い始めの時からピルを飲んでいたので、なんとなく我々の間ではコンドームなし、つまり、生でセックスすることが当たり前になっていた。
(ピルを飲んでも性感染症は防げないし、避妊率100%ではないので、本来なら特定のパートナーとのセックスでもコンドームはマストである。しかし、当時の私は相手が生でするととても喜んだので、ついしなくてもいいよ、と言ってしまっていた)

避妊ピルは飲み続けていると排卵する力が衰えるため、休薬期間を置いた方がよい、という情報を私は何かで読んでいた当時はまだ身近にピルユーザーも居ず、ネット上でも薬についての正しい情報を得られる場所も少なく、私はにちゃんねるのピルスレなどで情報収集するしかなく、根拠のない情報でも鵜呑みにしていたのだ。そのため、私は彼と付き合っている期間のうちの一時期、1ヶ月だけ休薬することにした。

焦る出来事が起きたのはその期間中である。
休薬を初めて2週間ほど経った頃、彼がうちに来て、セックスをすることになった。向こうには休薬することを伝えていなかったため、私はそのときになって初めてピルを飲んでないことを明かし「今日、ゴムして欲しいんだけど」と言った。

その時なんだよね。

一瞬だけ、相手が怪訝そうな顔つきをしたのは。

相手にしてみれば、本当にちょっとしたことだったかもしれない。眉根を少し動かしたとか、それだけのことかもしれない。
たったそれだけなのに、私は
「あ、私、何かやらかしたかも」と思い込んじゃったのだ。

相手は続けて
「急に言われても、持って来てない。美由紀ちゃん、持ってない?」と言った。
「持っていない」と言うと彼は「今からコンビニ行った方がいい?」と聞いて来た。

今の私だったら、まず間違いなく相手を布団の上に居直らせ「お前のちんこの事ぐらい、聞かずともお前でなんとかしろ」と家から叩き出すだろう。それで愛が冷めるならその程度の男だということだ。
けどその時の私は、相手が年下であるということに引け目を感じていたし、自分の容姿にも、体にも自信がなかった。彼だけでなく、それまで付き合って来た相手に対して強く出たり、何かを要求したり、こうして欲しいとこちらの気持ちを伝えるのが非常に苦手だった。
加えて10代ー20代にかけて読んだ雑誌の「セックス特集」には「男を気持ちよくさせてあげるのがいい女」みたいなことが大量に書かれていたし、AVなんかの影響もあって「女は男の欲求を受け止めてあげるもの」という刷り込みが多大にあった。

だから私は、その時の彼のちょっとしたふてぶてしさに慌てて

「あーーーーーーーーーー

………

………

………

………

じゃあ、そのままでいいよ」

と言ってしまったのだ。

今から思えば本当にバカだ。

しかし当時の私にとっては、自分の体を大事にすることよりも、相手の不機嫌をどうやって丸くおさめるか、の方がずっとずっと大事だった。

男に不機嫌になられるのが怖い。
それが私の抱えているトラウマだった。

「本当にいいの?」

「……うん。生理も近いし」

いやいやいや。

ばっちこい排卵日ですから。

セックスして彼が寝た後で、私は青ざめた。どうしよう、絶対に今日のセックスは危ない。私は子供を望んでいないし、何より、まだ学生の彼とじゃきっと育てていけない。

真っ暗な部屋の中、スマホのブルーライトを顔に浴びながら必死に検索する。
(緊急避妊ピルってどうしたらもらえるんだっけ?朝イチで産婦人科に行けば間に合うかな……)

結局、悶々としながら朝を迎えた。次の日、挙動不審の私に彼がどうかしたのと訪ね、私は思い切って正直に話した。彼は半分呆れ、半分驚きながら

「は?なんで言わなかったの?」と言った。

(あなたが不機嫌そうだったし、ナマでやらないと嫌われると思ったからです)
……そう、その場で伝えられるコミュニケーション力はなかった。私たちはしばらくの間、緊急避妊ピルを処方してくれる産婦人科をスマホで探し回った。

間の悪いことに、その日私は朝からものすごく大事な仕事の打ち合わせを抱えていた。
産婦人科が開くのは大抵朝9時ごろで、10時には打ち合わせ場所に付いていなければならない。朝一で病院に着いて、すぐに処方してもらえなければ間に合わない。
もし間に合わなかったらどうしよう…?

仕方がない。こうなったら奥の手だ。私はかつて留学中にルームメイトから聞いた「中用量ピルを2錠飲み、12時間後に再度2錠服用する」という緊急避妊法を試すことにした(ピル自体は休薬していただけで、何シートか手元に残っていた)。
(この方法は「ヤッペ法」といい、海外では知られているものの、避妊の確率だけで言えば緊急避妊ピルには敵わないので絶対に勧めない)

彼は最後まで「なんで言わなかったんだよ」という顔をして私を送り出した。

効果はすぐにやってきた。

ものすごいふらつきと吐き気。乗っているバスが揺れているのか自分が揺れているのか分からない。少しでも気を抜けば、たちまち倒れてしまいそうな眠気が押し寄せる。
打ち合わせ場所にはなんとか辿り着いたが、あまりに挙動不審だったのか相手には「小野さん、なんかいつもと違いますね?」と怪訝な顔をされてしまった。

まさか「緊急避妊でフラフラなんです」とは言えず笑ってごまかし、打ち合わせを終えて這う這うの体で家に帰り、そのまま丸1日寝込んだ。緊急避妊ってこんなにも辛いのか。もう同じ思いは2度と味わいたくない。もし緊急避妊ピルでも同じくらいの副作用を味わう可能性があるなら、一生飲みたくない。

ヤッペ法が効いたのか、排卵日を運よく逃れたのか分からないけど、結局妊娠はしなかったが、その後しばらくして彼とは別れた。
今から思えば、私は相手をパートナーとして信頼していなかったのだ。年下だし、未熟だし、と相手を侮り、できることは全部自分がやればいいから、と相手を自分の土俵に引き込むのを恐れ、避妊を「二人ごと化」するのを避けた。愛されるために、嫌われないために、彼を甘やかしておけばいいと思っていた。彼にもきっとそれは伝わったのだと思う。
同時に、私は自分自身のことも信頼していなかった。相手に自分の要求を伝えられるという事は、自分自身のニーズをきちんと把握し、その感覚を信頼している何よりの証拠だと思うから。

今の私は、自分の体を自分で守ることが何より大事だ、ということを知っている。避妊に関して考えや知識をきちんとシェアできる相手としかセックスするべきじゃないことも知っているし、誰が相手だろうとはっきり「避妊して」と言えるし、念のため自分でもゴムを持ち歩いている。避妊についてきちんと意見を言えることは、セックスをする大人なら当たり前のことで、それによって相手に「可愛げがない」とか「慎みがない」とか言われても知ったこっちゃない。
(数年前、フリーだった時にまあまあ有名な医師で物書きの男といい感じになって京都に旅行にゆき、旅館で初めてセックスしようとしたら相手が無言のままナマで挿入してこようとしたので「ふざけんなよ」と喧嘩になってそのまま別れ、その後その話を友人の女の子にしたら「私の友達、その人からクラミジアうつされたって言ってましたよ!」と言われたので本当にやらなくてよかった、と思った。×先生、これを読んでたら他人の内臓いじくる前にぜひ性病検査に行ってくださいね)。

なぜ私がこの恥ずかしい失敗談をわざわざ晒したのか。
とどのつまり、きちんと性教育を受け、避妊方法もよく知っている女ですらこういう事が起き得るのだから、気の弱い女、DVの渦中にいる女、知識のない10代、またそうでなくてもカップル間のちょっとした力関係で、相手に「ゴムつけて」と言えず妊娠のリスクに晒される女性は多分に居る、という事を伝えたかったのである。

女友達からも「長期出張前にどうしても、と相手に頼み込まれ、断ると不機嫌になるから嫌だと言えなかった」とか「前の子はピル飲んでてナマでやらせてくれた、と言われて仕方なく」とか、そういう話はゴマンと聞くし、「暗闇でセックスしていて、彼がゴムを手に取りつける動作をした後に挿入してきたのでてっきりゴムをつけてると思っていたら実はナマでやられていた」とか、もはや犯罪レベルの騙しにあった子も居る。

性暴力の現場でなくたって、相手のカバードアグレッション(善意を装いつつ、相手をコントロールして来ようとする態度)によって罪悪感を持たせられたとか、嫌われるのが怖い、と言った動機で「No」と言えなくなるケースは、きっと男性が想像するよりずっとずっと多くあり、それが元で涙を飲んだり、病院に駆け込んだりしている女性はたくさん居る。

それは「きちんと相手と性的同意や避妊方法について話し合いましょう」とこの国の性教育が教えてこなかったことにも原因があるし、雑誌のセックス特集とかAVの影響とかモテ本とかの影響で、まだまだベッドの上で女は男の欲望を優先させるべき、みたいな考えがまかり通っている事も影響しているだろう。
女は黙ってニコニコして、相手のいうことを聞くもの、そうしていれば愛されて豊かな生活が送れてハッピー、そうした固定観念がまだまだこの国には多分にあり、それがこの国に蔓延する「空気」から脱色されるには、きっともう少し時間がかかる。

だからこそ、一刻も早く女性たちがより安心して避妊を自分のもとでコントロールできるようになる必要があるし、そのためにも緊急避妊薬にはもっと簡単にアクセスできるようにするべきだと私は強く思う。会社や学校の都合で産婦人科にすぐ行けないことだってある。お金がない場合だって、親に言い出せないケースだってある。自分の身を自分で守れる、そう思えること自体が、とりわけ女性にとっては自尊心を育てることに繋がるし、自分のリプロダクティブヘルスを自分でコントロールできる、それだけでもかなり自分自身を信頼できるようになる。それは社会全体の幸福の底上げにもなるだろう。

もしこの国が「女性の活躍」をポーズだけでなく本気で後押しする気があるのなら。女性を大切に扱い、女性が自分で自分の身を守ることをきちんとサポートする気がある、と言うのなら、その姿勢を見せる意味でも、今回の緊急避妊ピル法案についてはぜひぜひぜひとも通過して欲しいし、それに伴い常時用の避妊ピルも一刻も早くドラッグストアで購入できるようになって欲しいと、長年のピルユーザーとしては割とガチめに願っている。

医療監修:南 真実子(大阪美容クリニック理事長)
祖父や父が産婦人科医であったことから、自身も大阪医科大学医学部卒業後、初期研修を経て大阪医科大学産婦人科教室に入局。主に、腹腔鏡手術、不妊治療、周産期治療などに従事し、産婦人科専門医を取得。検診業務にも従事し、マンモグラフィー読影認定医を取得。女性がいつまでも健康で美しく輝いていられるよう、更なる高みを目指して、美容医療、アンチエイジング医療を行う。大手美容クリニックで活躍後、2017年大阪美容クリニックを開院。婦人科・美容皮膚科を通じて、女性をトータルにサポートできるよう診療を行っている。
https://www.instagram.com/dr_minami

作家。1985年東京生まれ。著書に銭湯を舞台にした青春小説「メゾン刻の湯」「傷口から人生」(幻冬舎)など。2020年に刊行された”女性がセックス後に男性を食べないと妊娠できない世界になったら?”を描いた恋愛SF小説『ピュア』は早川書房のnoteに全文掲載され、SNSで話題を呼び20万PV超を獲得した。創作WS「5感を使って書くクリエイティブライティング講座」を毎月開催。