直木賞作家・桜木紫乃さん「実家のラブホテルで学んだ、人間の滑稽さと切なさ」

桜木紫乃さんの直木賞受賞作を武正晴監督が実写化した作品『ホテルローヤル』が、11月13日から全国公開されます。北海道釧路の湿原に建つラブホテルを舞台に、男女の性愛にまつわる人間模様をオムニバス形式で描いた本作。モデルとなったのは実在のラブホテルで、桜木さんの父親がかつて経営していた施設の名前をとったといいます。公開を前に、作品への思いを聞きました。

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いつか実家が廃墟になればいいと思っていた

――映画の冒頭、ラブホテルでの衝撃的なシーンから始まって驚きました。

桜木紫乃さん(以下、桜木): いきなり、おっぱいでしたね(笑)。しかもすごく大きかった。スクリーンにどーんと映って。

あれは小説の最初にある「シャッターチャンス」という短編の一場面です。廃業したラブホテルの一室にカップルが忍び込み、彼氏のために女性がヌードモデルになって写真撮影をする。そこから時間をさかのぼる形でストーリーが展開していくのですが、あの短編はそもそも、担当の編集者に「桜木さんの好きな廃墟で、ヌード撮影する話を書いてみては?」と言われて始まったものでした。

――「廃墟でヌード」というアイデアがきっかけで、ラブホテルを舞台にした作品を書くことが決まったのですね。

桜木: 自分が最もリアルに描ける廃墟って何だろうと考えて、思いついたのが実家のラブホテル「ホテルローヤル」でした。もともと廃墟を眺めるのが好きで、いつか実家が廃墟になって『廃墟の歩き方』という写真集に紹介されればいいなと思っていたんです(笑)。

とはいっても、執筆当時はまだ実家のホテルは普通に営業していました。2012年の末、小説が完成して出版となる直前に、偶然にも商売をたたむことに。内心では「やった!」と思いましたね。ホテルローヤルが架空の場所になるぞ、と。

「セックスって、いいものですか」高校生だった自分の思い

――女優の波瑠さん演じる本作の主人公・雅代は、ホテルローヤルの経営者のひとり娘であり、桜木さんと同じ境遇です。ストーリーにはご自身の思い出も反映されていますか。

桜木: 小説『ホテルローヤル』は虚構を描いた物語です。私が経験したことをそのまま書いているわけではありませんが、経験が書かせる一行もあったのではと思っています。

うちの父が莫大な借金をしてラブホテルを立ち上げたのは、私が15歳の春。中学を卒業してすぐのことでした。ホテルの事務所の上に私たちの住まいがあって、学校から帰ると毎日手伝いをしていました。家の中をつねに他人が出入りして、いろんな人のさまざまな側面を見たり、あるいは聞いたり……。人間って本当にいろいろな人がいるのだなと、知ることができた場所でしたね。

――映画の中で、男女の行為の最中の声が、部屋の外に聞こえてきたシーンもありました。あれは実際に?

桜木: 映画のように換気口からではないものの、うちのホテルの壁はうすかったので。女性の声というのは響くトーンがあるんですね。

高校時代、私が寝室にしていた部屋と、一番端の客室のベッドが壁1枚の隣り合わせで、お客さんによっては声がよく聞こえました。それを両親に言ったら、さすがに教育上よろしくないと思ったのか、私が寝る時だけはその客室をクローズにしてくれて。唯一、両親が私にした親らしいことです。

――10代の多感な時期に、すさまじい体験をされてこられたのですね……。

桜木: 多感であることを放棄していましたね(笑)。劇中の雅代の「セックスって、いいものですか?」という台詞は、高校生だった私の正直な気持ちです。

でもね、自分が家の中にいると、それがどれだけ滑稽かわからないんですよ。チャールズ・チャップリンの言葉にもある通り、人生は寄って見ると悲劇的ですが、離れて見たら喜劇です。私たち家族は借金を返して生きていくことに必死で、まるで建物に働かされているような状況でした。

「明日に向かって逃げる」という選択肢

――本作の映画化が決まった時、原作者として何か要望はありましたか。

桜木: それはもう、「お好きなように使ってください」と。スタッフやキャストのみなさんは、ご自分の名前で表現活動をされているプロの方々です。たとえば私も、自分の小説に対して頭ごなしに「これは違うから、最初から直して」などと言われたら、書くのがつらくなってしまいます。同じものを作る人間として私が言えるのは、「原作に遠慮しないで作ってください」ということでした。

――そうしてできあがった映画をご覧になって、どんなことを思われましたか。

桜木: 武監督は『ホテルローヤル』という小説を映画にしたのではなく、ホテルローヤルを舞台にして、私という人間の内面を読まれたような感じがしましたね。

うちの父は根っからのギャンブラーで、商売向きの人間ではありませんでした。だから私は高校生の時、「いつか自分がここを継がなければならない」というプレッシャーをつねに感じていました。映画の中で、雅代が父親に向かって「私を巻き込まないでよ」と言う場面があります。でも私自身は、ああいうことを父に話した記憶がありません。

私は24歳で結婚して家を出ました。一方で雅代は、30歳になる前までホテルの手伝いを続けました。それはなぜなのか。雅代は父親に自分の気持ちを言える瞬間があったんです。私にはなかった。映画を観たことで、その理由があらためて腑に落ちた気がします。

――たとえば今、周りの環境に対して複雑な思いを抱えている人が目の前にいたら、どんなアドバイスをされますか? 自分の気持ちを伝えたほうがいいのか、それとも何も言わずに出て行ったほうがいいのか。

桜木: 「前向きに逃げる」って、大切なことだと私は感じます。逃げるという言葉は後ろ向きに使われがちですが、そうではなくて前向きな気持ちでその場所を後にして、新しい場所に向かって歩いていく。武監督から「まさにそのことを映画で描きたかった」とお話を聞いた時に、そういえば、かつての私自身もそうだったなと思い出しました。

20代半ばになる私の娘には、「つらいことがあったら逃げなさい」と教えてきました。つらいと感じるということは、それが自分にとって好きなことではないはずなんです。無理して我慢を重ねて、うまく笑えなくなるような日常を送るくらいなら、明日に向かって逃げてしまえばいい。この映画を通して、そんな選択肢もあることを感じていただけたらうれしいです。

●桜木紫乃(さくらぎ・しの)さんのプロフィール
小説家。1965年、北海道釧路市生まれ。高校卒業後に裁判所職員として勤務した後、24歳で結婚して専業主婦となり、2人の子どもを出産。釧路発の文芸同人誌「北海文学」に参画したことがきっかけで創作活動を本格化し、42歳になる年に『氷平線』で単行本デビュー。男女の性愛に対する独自の視点が特徴的で、「新官能派」として性愛文学の代表作家と評される。趣味はストリップ鑑賞。

ことりと暮らすフリーランスライター。米シアトルの新聞社を経て、現在は東京を拠点に活動中。お坊さんやお茶人をよく追いかけています。1984年生まれ、栃木出身
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。