映画「氷上の王 ジョン・カリー」は美しくも鋭い“超”社会派ドキュメンタリーだ

現在公開中の話題の映画「氷上の王、ジョン・カリー」は、“スケート界のルドルフ・ヌレエフ”と評された英国のフィギュアスケート選手、ジョン・カリーの活躍と内面を描いたドキュメンタリー。まだ同性愛への嫌悪が著しかった1970年代、ゲイであることを思わぬ形で明かされてしまうカリーですが、偏見を乗り越え、その後のスケート界に大きな影響を与えました。その遺伝子を受け継ぐと言われるのが、アメリカの元オリンピック選手で現在はプロスケーター、ジョニー・ウィアー。彼を招いての上映イベントが、都内で開かれました。無知による偏見や嫌悪、そんな中にあっても「自分らしくいる」とはどういうことか――。性愛のこと、家族のことなど、とくに自身の体験をもとにした発信が共感を呼ぶライター、佐々木ののかさんが綴ってくれました。

ジョン・カリーが打ち破った「男らしさ」の壁

フィギュアスケートと聞いて、クラシックバレエのような優雅さを想像する人は多いはず。しかし、男子フィギュアスケートにそのような芸術性が取り入れられるようになったのは、ここ40年ほどのこと。そんな現代の男子フィギュアスケートの礎を築き上げた人物こそ、今回ご紹介する映画『氷上の王、ジョン・カリー』の主人公ジョン・カリーなのです。

© New Black Films Skating Limited 2018 © Dogwoof 2018

1949年にイギリス・バーミンガムに生まれたジョン・カリーは、父の抑圧を受けながら育ち、「男らしくないから」という理由でバレエを習わせてもらえませんでした。代わりに、「スポーツだから」という理由で習わせてもらえたアイススケートを始めたのが、7歳のとき。バレエの芸術性をスポーツの場で昇華しようという、他の選手とは異なるバックグラウンドは、彼のオリジナリティに大きく寄与します。

1973年から76年まで3年連続で全英チャンピオンに輝き、76年にはオーストリアのインスブルックでも金メダルを獲得。当時の男子フィギュアスケート界で重視されたパワフルさやジャンプ力に欠けるという批判もありましたが、高い技術力でそうした批判を一蹴し、その動きのエレガントさから「氷上のヌレエフ」と評されるまでになりました。

© New Black Films Skating Limited 2018 © Dogwoof 2018

しかし、順風満帆だった選手人生の裏で、彼は常に愛に飢え、孤独と闘っていました。作中では華やかで優美なパフォーマンスと、それとは対照的なカリーの孤独や憂鬱とが交互に描かれます。とりわけ大きなトピックとして取り上げられているのは、彼自身のセクシュアリティについてでした。

今もなお、根強い偏見がありますが、彼が活躍した1970年代のスポーツ界ではホモフォビア(同性愛嫌悪)は想像を絶するものでした。オリンピックで金メダルを受賞した後のメディアによるアウティングのほか、実績を重ねてもついて回るセクシュアリティへの好奇の目。それでも心を折ることなく、彼は氷上に立ち続けます。

ジョン・カリーを知っていた人も、そうでない人も、溜息をつくような感動と、新鮮な勇気がもらえるような作品です。

© New Black Films Skating Limited 2018 © Dogwoof 2018

「カリーがいたからこそ、自分らしいスケートができた」

鑑賞後、ピカデリー新宿で行われた公開記念イベントに出席しました。今回のゲストである男子フィギュアスケート選手のジョニー・ウィアー氏が登場すると、割れんばかりの拍手と歓声の嵐が会場を包みました。

鮮やかなイッセイ ミヤケのドレスを身にまとったウィアー氏は「その服はどこで買ったの?」と尋ねられると、「コウベダイマル!」と日本語で回答。チャーミングな笑顔とホスピタリティに、会場もドッと湧きます。

今回のイベントのテーマは「自分らしく生きるために」。ジョン・カリー同様、フィギュアスケート界において自身のセクシュアリティを公にしているウィアー氏自身の“闘い”について尋ねられると、それまでのやわらかな表情からは一変、強いまなざしでこう話してくれました。

「私はゲイであることが注目されてきたけれど、自分ではそのことを問題だとは思っていません。ただ、生まれつきの自分を隠さずにやってこられたのは、ジョン・カリーをはじめとして、過去に同じような境遇で闘ってきてくれた人がいたからです」

2006年のトリノオリンピック出場の折、惜しくもメダルを逃してしまった際の記者会見で、パフォーマンスについてではなくセクシュアリティについての質問が相次いだことなど、偏見の根強さを物語るエピソードを話してくれたウィアー氏。

少しずつ前進しているとは言え、未だ根強く残っているホモフォビアに対し、「セクシュアリティをオープンにできず苦しんでいる人に代わって、自分が回答を求められた際には毅然とした態度で応じていきたい」とコメントしていました。

その後に行われたフォトセッションではまたやわらかな表情を浮かべ、一般の方の撮影にもOKを出すなど、旺盛なサービス精神でファンを沸かせます。強さとやさしさを兼ね備えた彼もまた、ジョン・カリーのDNAを受け継ぐ一人なのかもしれません。

リベラルな人にこそ観てほしい、あらゆる人権弾圧への警鐘を鳴らす作品

美しい映像に何度も感嘆させられながらも、私が最も印象に残ったのは、同性愛者が弾圧されるシーンでした。

遠い昔、同性を愛することはそれだけで罪とされ、同性愛者たちは原因不明の肺炎やAIDSが流行するたびにある種のスケープゴートにされてきました。まだまだ偏見は残っているものの、声を上げて変革に臨んできた人たちのおかげで、同性愛への嫌悪感を抱く人や、あの悲惨な弾圧のシーンを“正当”なものとして見る人は当時よりは少ないでしょう。

しかし、同性愛に限らず「嫌悪」から生まれる無意識での差別や他者の権利に対する迫害は今もなお続いていると感じます。たとえば、多くの人が“気持ち悪い”と感じる趣味・趣向を内に抱えた人たちへの弾圧は、当時“よくわからなくて気持ち悪い”とされていた同性愛への弾圧と何ら変わりません。作中の悲惨な弾圧のシーンを観て、そのことに気づかされたのです。

その意味で本作は、美しいスポーツ・ドキュメンタリーの範疇を越え、嫌悪から来るあらゆる人権弾圧やファシズムへの警鐘を鳴らしていると言えます。

映画『氷上の王、ジョン・カリー』は「自分はリベラルだ」と自負している人にこそ観てほしい、“超”社会派ドキュメンタリーなのです。

映画『氷上の王、ジョン・カリー』

新宿ピカデリー、東劇、アップリンク吉祥寺・渋谷ほか全国の劇場で公開中。

© New Black Films Skating Limited 2018
© Dogwoof 2018

文筆家・ライター。「家族と性愛」をメインテーマにしたエッセイや取材記事の執筆が生業。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。